英蟯虫&藍子:コラボレーション 第2弾 『祈る、哀しき獣』


*後に「Happiness Is A Warm Gun」に改題 [未完]


序文:

一応(仮題ですが:3時間程唸って考えました)タイトルですが:

それは:

「祈る、哀しき獣」(いのる、かなしきけもの)

です。

来週末になればまた別のタイトルになっているかわかりませんけども…。

登場人物ですが、先日メールでお知らせしたものより若干変更します。

 

南野陽一:昭和40年生まれ:大学卒業後地元の信用金庫に入庫するが33歳の時に図書館司書としての国家試験に通った時期と金庫内のガタガタが重なり退職し、そのまま市立図書館に勤務現在に至る。現在に至るまでずっと自宅暮らし。特に親元を離れる必要も理由もなく現在に至る。両親の高齢化よりも自分の老いが気になる最近。

 

園部明美:昭和42年生まれ。地元の商業高校卒業後、地元の会計事務所に就職。気が付けばいつの間にか事務所内ではベテランでお局様の立場に。現在に至るまで自宅暮らし。最近はそれが楽であることを深く実感、しかし両親が徐々に老いてきていることが少し心配。

 

もう一人は:まだ考えていません。

 

「天使の国、…」のキャラクターを“動”とすれば今度のキャラクターは一般的には“静”です。テーマはまだ見えていませんが、漠然とした…人は何故生まれてきて、死んでいくのか、つまり何処から来て何処へ行こうとしているのか?…そんな事を記せたらと思います。

「天使の国、…」の第三章はまだ粗筋メモ書き程度なのでもう少し書き出して完成するまでは時間がかかると思います。今回のは地味な展開にしたいと思っていますので出来れば反面派手にしてもらっても結構ですよ。まぁ初回はこんな感じです。化石のPCを用いての記述ですのでなかなか捗りません。

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追伸:Wim Wendersの「リスボン物語」ですが私が写真を撮った(もしくは撮ろうと思ったところ)と同じところが3カ所程ありました。彼は映画の撮影を始める前に自分でカメラを持って単身現地に乗り込んで行ってロケハンをするそうです。我々がリスボンで過ごしたのとこの映画が撮られたのが同時期だと思っていましたが、制作年から考えるとこの映画を撮られたのが早い様なので、彼がロケハンをしてその後で映画を実際に撮った、その後に我々が歩いて偶然その土地に行き、同じ様なアングルで写真を撮った、ということになりそうです。思うに、彼も路地裏など色々と歩き回っているということです。弟子や助手に歩かせるようなことを一切させないところがあの独特の情景を生み出すのでしょう。比較的新しい作品:The end of violenceでもやはりアメリカ人には撮し得ぬハリウッドの情景を撮っていたり、メキシコ人の対する視点もアメリカ人には絶対表現不可能な感覚で撮っていました。

 

 

そうそう、続きですが…。南野陽一と園部明美は恋愛には陥りません。付き合っているような付き合っていないような…お互いにそんな感情を抱かないことを期待して異性の友達として、また人生の戦友みたいな感じで、それもお互いに漠然とそう感じ合っているだけで。でも読む人には二人が恋愛に陥って当然なように思わせるようにしたいと思います。

先日十何年ぶりにアニメの「ボビーに首ったけ」という映画をビデオで観ました。片岡義男原作でキャラクターデザインは吉田秋生です。音楽は多分、というか当然南佳孝だったと思います。全盛期の角川映画です。配給してくれたジョニー小倉氏にお礼かたがたメールをしたのですが、私の最後の質問は、今の高校生があんな作品を観て何か感じるのでしょうか?というものでした。あんなほのかな感じがわかるくらいなら17歳のガキ共があんなに問題を起こさないと思う、という結論でした。テレビゲーム等で仮想現実的な世界での刺激が強烈すぎて繊細な感覚など失われてしまったのでしょう、きっと。激辛や濃い味の食事ばかりとっていると薄味の妙みたいなのが感じられなくなると同じです。激辛摂取については他人のことは言えませんが…。おすまし、香の物、せいぜい茶碗蒸し、これくらいの薄味で香り高い、微妙の妙っぽい感情なり生き様なりを表現出来れば、とそう思っている次第です。反面、「天使の国、…」では派手に展開していきたいと思っています。

そうそう一頁で書き忘れたことが…。

 「祈る、哀しき獣」の第2章はもう書き始めてもらっても構いませんヨ。もう一人の執筆予定者はどうなるかわかりませんので。また二人だけの連載リレー小説になるかもしれませんが。