2005年12月:東京ナイト


首都圏に行った際に東京を通過することは結構多いが、
東京を改めて見るという計画を立てたのは久々のことである。

前回、旅として東京を捉え、そんな目で東京を眺めたのは1988年頃であったので
その実17年振りのことになる。

今回は二人の子供(小学生:♂)を連れての旅である。

金曜日:

 初めて夜行バスというものにトライする。
 あまり悲惨なバスも疲れるので一番上から数えて2番目のバスにした。
  3列独立席・トイレ付き。
  JR大阪駅桜橋口22:00発:翌朝6:16東京駅着という便である。
 
 しかしトイレは狭い。飛行機のトイレよりかなり狭い。
 付いているだけ、というレベルである。
 麦酒等をガンガン飲まない限りトイレ付である必要はないと思う。
 

 大体他の乗客は高速バスに乗りなれた連中で、バスは走り出してしばらくすると
 消灯され、みんな寝てしまう。
 起きて酒を飲んだり誰かと話をする、という雰囲気ではない。
 とにかく他の乗客は情緒的なところはなくひたすら寝るべきものだとドライに割り切っている。
 新幹線は金を出して時間を買うのだが、こうした夜行バスは時間を売っている様な気がする。
 一体誰に対して時間を売っているのか?と疑問ではあるが、時間を潰して売ることで
 交通費をケチるというのがその主な目的はないだろうか?と思う。
 それと宿泊費を考慮した場合はバス泊だとその分もケチることになる。

 次回は是非”急行銀河”での旅にトライしたいと思う。
 今回も結構真剣に”急行銀河”を考慮したが、小人運賃の適用が無いので止めた。

土曜日:

  朝6時に東京駅に着いた。
  意外に良く眠れた方ではないか、と思う。
  ただ6時に東京駅に着いても何も出来ない。
  トイレですら営業開始が7時30分とある。
 店はどこもかしこも閉まっている。
 それにしてもベンチや待合室も無いのだ。
 徹底したホームレス対策とでも言えるかもしれない。
 もしかしたら何処かにベンチがあるのかもしれないが約30分ウロウロしたが座れる所はなかった。

 なんとか一軒開店している店に入り朝食を摂る。
 
 山の手線で浜松町駅に行き”日の出”桟橋を目指す。
 ”日の出”桟橋も営業開始時間が9時15分だと言う。
 後2時間もどうすればいいのだろうか?

 日陰では寒いので日向に出て、ボクシングさせたり相撲させたりレスリングさせたりしながら
 体を温めさせた。

 時間を有効に使うつもりで高速夜行バスを利用したが、
 その実時間の無駄遣いでしかないのか?

  9時40分の始発便の水上バスで東京ビッグ・サイトに向かう。

 今回の目的である「国際ロボット展」の会場に入る。

 午前10時から午後4時くらいまで会場を歩く。
 疲れると同時に色々な言葉に出来ない感情が湧いてきた。



ゆりかもめに乗り汐留まで行き、都営大江戸線で赤羽橋まで移動し東京タワーを目指す。
東京タワーに来たのは約25年も前の事になる。



武流殿と無事合流することが出来晩御飯を食べに行った。

天然ウナギにこだわり続ける江戸前蒲焼きの名店:五代目野田岩

都営の地下鉄と東京メトロ等を乗り継ぎ武流殿邸に移動するが、
地下5階から地上付近まで上がったり降りたりでなかなかの移動量である。

問題はあまり歩いて旅をしたことない人に押し付けられた鞄が重い。
 (鞄の中には子供達の着替えがぎっしり詰まっていた)
肩紐さえあればそれでもいいのだが肩紐は取り外されており片手がその鞄に占有される。
完全に東京という街での移動についての想像力が欠如した人間の準備した鞄である。
肩から首筋にかけて疲労が蓄積されてくる。
そもそもたった2泊分の衣類など自分が背負うデイパなりリュックに詰めて旅するものだ。
特に歩き中心の旅は両手が使えないと危ない。

旅というものにもやはり仕向け地に対して最適な方法というものが存在する。
勿論コインロッカーに入れておけばいいのだろうがワザワザその駅まで毎晩
戻らねばならないので現実的ではない。

 武流殿邸に無理を言って泊めてもらうことにしたのは、
全体的な予算を抑える(つまり宿泊費を抑える)ということだけではなく、
東京都内に民泊するという経験をさせたかったのである。
 これはお金だけではなんともならない話である。
先ず泊めてもらえる関係の友人・知人が東京都内に住んでいないければならない。
また泊まることを快諾してもらえないとどうしようもない、というかなり条件が限られる話である。 

日曜日:


 都内某所にある武流殿邸を出てから巣鴨の地蔵通り商店街が丁度4の付く日だということで
 縁日が出ていた。


 ババシャツ屋があったが真剣に探せばかって探していた”哲ちゃん”シャツも見つかるかもしれない。
巣鴨から都営バスで40分かけて浅草に向かう。
団子坂下という処を通ったので少し嬉しかった。
ただ団子坂というのにはそんなにこだわりがあるわけではない。
敢えて言えば多摩蘭坂みたいなものか。

浅草寺から地下鉄で一気に渋谷まで移動する。

巣鴨-浅草と渋谷ではやはり街の毛色が異なる。
歩いている人間の年齢が異なる。
着ている服の色が異なる。
どっちがいいとか悪いとかの話ではない。

東京という街は完全に棲み分けが出来ているのあろうと思う。

まるで諸外国の大都市と同じ様に。

渋谷から国会議事堂を目指す。
テロ以降議員の紹介がないと見学できないと言われた。
納税者に対しても平気でそんなことを言う。
冷たい霧状の雨を浴びながら国会議事堂の外周を一周する。
立ち番の若い警官に順番に挨拶しながら歩くが大抵の警官は愛想が良かった。

首相官邸の前でコートにポケットに両手を入れた瞬間約10名くらいの警官が
一斉にこちらを見た。
ディジカメを取り出しただけなのだが・・・。


六本木ヒルズに向かう。

森ビルの上まで上がり森美術館で杉本博司の作品を観る。
海を撮ったモノクロの写真はいいと思ったが、後のモノは好きにはなれなかった。







或る店に入り展示窓に展示している”がま口”の値段を聞いた。
女店員は展示品を取って来てからその"がまマ口"を開き中の価格が書かれた小さな紙切れを見せた。
48,000円だったかそんな数字が記載されたあった。
女店員でさえ売価の知らないモノを展示窓に展示している店。
桃色の”がま口”の隣にある靴など一足で200,000円以上するのであろう、と思った。
もしかしたらもっとするかもしれない。

"がま口"の値段を聞いたのは、せいぜい13,800円くらいのモノだろう、と思い
それを確かめたかったからだ。
まぁ地代を考えたら13,800円では女店員の給料が出ないのも当然である。


六本木ヒルズで金儲けしている連中が”勝ち組”だということでよくテレビに出て、
人生訓を垂れている。
まぁ今のところ経済的に成功しているから何をどう発言しても許されるのだろう。
しかしその先に一体何があるのだろうか?とかそんなことに関心がある。
欲望のその先に一体何があるのだろうか?
起業して自分の組織を率いてバリバリ仕事をして金を儲けて・・・
その先にある欲というのは一体どんなものだろうか?

高層ビルの上から下を見下して生きる人。
地上から高層ビルを見上げて生きる人。
人生は複雑である。

 後日テレビで関口会長と言う人が出ていた。
  元々メイテックだったかの創始者で社長だか会長だった人だ。
  そのメイテックを下克上に遭いまた別の人材派遣会社を設立し今は六本木ヒルズに
 会社がある様だ。
  その関口会長は:
   成功するためには
   1.セックス・アピールを出来る人になれ。(だったか)
      2.昆虫人間になるな!
      3.自己投資を惜しむな!
 という様なことを言っていた。
 (経済的な)成功者の言うことはそんなに突飛な事ではない。
  大体原理原則に則った当たり前のことなのだが、それがなかなか出来ないのが現実である。

   

今宵の宿は品川プリンスの新館である。
以前品川プリンスと高輪プリンスには泊まったことがあり、『はぐれ雲』の影響からか
品川宿という響きに惹かれる。また横浜に近いのもまた無意識に選らんだ理由である。
武流殿邸も高層階にあるが今回も予め高層階を予約しておいた。
それでも泊まった部屋は29階である。

 

月曜日:

 色々とあってホテルを出たのは10時を過ぎていた。

 時間が残り少なくなって来たので品川から横浜まで移動する。
 根岸線を乗り継ぎ石川町まで行き中華街を目指す。
  品川駅の”緑の窓口”では担当してくれたおねぇさんは何度も分厚い
 マニュアルを見ながら「大丈夫です。途中下車できます」と言い切った。
 しかし石川町駅では差額の運賃を請求された。
 結果的に品川駅の"緑の窓口”のおねぇさんには嘘をつかれたことになる。

  JRという会社は職員職員によって運賃についての理解が異なることが
 よくある。
 これも今年のことだが東京駅で途中下車の可否について駅員と延々と口論になったことがあった。
 平塚駅で切符を買った際には東京で途中下車できる!と聞いたので
 東京駅で途中下車しようとしたら駅員に制止された。
 「ここで途中下車したらその切符はパーになる」と言うのだ。
 確か千葉までの料金を払っていたのにそれを平気で「パーになる」というのだ。
 大げさに言えば殴り合いの寸前まで行きかけたが肋骨に皹が入っていた時期でも
 あったので自制した。
 今回は石川町であの時の東京駅の職員との事を想い出してしまった。


 あまり時間が無いのでお昼は広東料理の均昌閣という店で中国料理を食べた。

 横浜スタジアムの脇を抜け地下鉄で新横浜駅に向かう。


 子供達は生まれて初めて700系の新幹線に乗ったがあまり感動している様子も無かった。
 (500系と700系の差異も糞もそんなことどうでもいい様な感じで小さなことなど
  全然気にして生きていないようだ。本当は大事なことなのだが・・・)

 今回は綺麗に富士山が見えた。
 

 今回の旅もこうして終わった。

 本頁を書きながら感じたが・・・書きながら全然面白くないし、
  楽しんでいない自分を見つけた。

 理由は色々とあるがやはりその原因は自分自身が原因であると思う。


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まとめ:
 事前に子供達に見積もりさせた時には60,000円/人で計180,000円であった。
 往路に夜行バスを使ったり宿泊費を削ったりで交通費と宿泊費を削ったが、
 食費だけは子供料金が適用されないのでx3倍ともろに人数分がかかった。
 今回は大人1名、小人2名の旅であった。

総費用

1

交通費 53,520

2

食費 44,146

3

宿泊費 12,000

4

入場料 9,640

5

土産 (その 22,119
  合計 141,425

注)5.土産(その他)にはフィルム代やその現像代を含む。


神戸ルミナリエ

 神戸には別の目的があり日曜日の午後ついて来ない体を無理矢理押し出して街に出た。
 ついて来ないのはその実、体ではなく心がなかなかその気になっていなかったのだと思う。

 さてその帰り道、途中下車してルミナリエを観に行った。

 ただの電球か否か!それがテーマであった。
  というより物見遊山的色合い100%であったが・・・。

 人出もすごいが出店もすごい。

 なんだかんだ言ってもやはり経済効果! 世の中銭や!とミナミの帝王が呟いていた。
 人が動くと金が動く!



出掛けに拝読させていただいたPさんの日記の一文が残っていて、帰りに閉店間際の"そごう"に
滑り込みカステラを買った。
銀装のカステラしかなかった。
オーソドックスなカステラであるが正直言ってあまり美味しいカステラではない。
カステラに一番大事な何かが足りないのではある。
甘味だけの何かが足りないのである。
元々カステラは素朴なものなので銀装のカステラが正道なのかもしれないが・・・。

5切れ420円というもので数日間に渡って食べた。
最後に2切れ残ったので土曜日の朝食として一気に食べた。
やはりあまり美味しくなかった。
カステラの話をすると長くなるので今回は割愛する。


究極のおでん作り:第3ロット

早いもので究極のおでん作りも第3ロットまで来た。
第3ロットの食材を買ってアジトに帰る途中で急性アルコール中毒で救急車に
乗せられる若者を見た。
丁度信号待ちだったので一部始終を見ることが出来た。
病院が近くにあって良かったね!




週末のお昼に第3ロットを食す。
今のところ少し薄味ではあるが、ロットの最後の方が楽しみである。