2006年1月:西へ!2006

 

 

1月2日:午前7時起床

成り行きで上の子供2人を連れて新年早々旅に出ることになった。
東西南北の内で方角を長兄に選ばせると、すかさず「西へ!」という答えが返ってきた。
とにかく西に向かうことにした。

なるべく早く出るつもりであったが午前11時の出発になった。

西に向かうと海であるためフェリーに乗り徳島に渡ることしにした。

丁度11時30分のフェリーが出たばかりであったため本屋を探し四国の地図を買いに行った。

2時間でフェリーは徳島港で着いた。

やはり四国は船で行くに限る。
しかしフェリーはほとんど残っていないようだ。


徳島自動車道を走り高知道を南下し高知に入る。

徳島港からR55を南下し室戸岬を目指すつもりではあったが室戸岬に到着する
前に日没を迎える事が予想出来たので高速道路を使った。

日没前に高知市内入りし最初に目に付いたホテルに投宿することにした。

ちんちん電車に乗り高知城を見に行ったが上まで登ることは出来なかった。

高知神宮で”何も願わない手を合わせる”。
まるで藤原新也の受け売りの様だが、近年手を合わせても本当に何も願わない。
たった一言「よろしくね」と言うだけである。

繁華街を東に歩く。
若い兄ちゃん・ねぇちゃんばかりだが・・・やはり土佐の女は元気である。


皿鉢料理でも食べようということになったが、二人の子供はどちらも尻込みしてしまい
皿鉢料理は諦めた。
人数の割りに皿の方が豪快すぎた。



2次会で目をつけていたアイリッシュ・パブに入りギネスを飲んだ。
子供達はジュースだが・・・。
ここでもまた食費がかさんだ。

またちんちん電車で宿の近くまで戻りスーパーで鍋類を買った。

宿の上階にある大浴場に浸る。

湯上りに寝床で麦酒を飲みながらテレビで時代劇を観る。

11時には就寝。



1月3日:午前6時30分 起床

宿の地下にある食堂で無料朝食(パン2切れと珈琲)をいただく。
質素な食事だが少しは食費をケチる必要もある。
午前8時出発。

”龍馬の生まれた街記念館”を目指す。
この記念館は午前8時から開館してあった。
ゆっくりとこの記念館で過ごした。

龍馬郵便局や坂本龍馬誕生地を巡りスーパーに食材を買いに行った時は
午前11時30分頃であった。
その実車を停車させ子供達に資金を与え食材を買いに行かせた。
しかし性格が出るもので予算の半分も買って来なかった。
モノを売るのも難しいがその実買うのはもっと難しいものである。
肝心の昆布を忘れて買っていなかったのでまた買いに行かせる。

車の中で子供達の帰還を待って時に課長さんから電話をもらう。




目指すは勿論桂浜。



久々に高知は桂浜にやって来て、久々に坂本龍馬像を見上げた。






その実、桂浜で鍋をするためにやって来たようなもんだ。
ポン酢は実父手製の2006年度版。



手製ポン酢は毎年味が異なる。
今年のは結構酸っぱくって格別に美味しかった。
ポン酢の元は実母の実家の蜜柑畑になる橙(だいだい)がベースなので、
毎年味が変わって当然である。
(このポン酢も年々生産量が減ってきている)




今回残念であったのは
 1)せっかくの桂浜の鍋だというのに麦酒・日本酒を自粛したこと。
 2)鍋が大きかったのと、カセット・コンロではやはり火力が弱く
   なかなかグツグツ煮なかったことである。
   しかし絶景を見ながらの鍋は美味いのである。

次に目指すは松山である。
最初R194で行こうと考えたが時間と降雪を考えR33を選択した。
R33ならなんとか日没前に峠を越えられると判断した。
スタッド・レス・タイヤは装着していないしチェーンすら持っていない。
高知市内はかなり混んでいて県境まで60kmのところ約2時間かかった。
結局、高知-松山137kmを3時間3分かけて移動した。
 (平均時速44.9km/h)
計算では平均時速60km/hの予定であった。
しかし山を下り始めてから陽が沈み始めたのでまだマシであった。
路肩には雪が積もったままであったが路面はドライで問題はなかった。
砥部町を抜け松山市内へ入る。
対向車線が数珠繋ぎで松山での時間調整を計算に入れる。
銀天街を抜けたところつまりは大街道の端で駐車場に車を止める。

またもや松山の繁華街を端から端まで歩く。

高知と同じで若い兄ちゃんとねぇちゃんばかりであった。
しかしやはり子供ばかりという感じであった。
 (こちらがおっさんになってしまったのだ・・・)

兄ちゃんたちはねぇちゃんを物色している。(所謂ナンパ)

動物として雄が雌を物色するのは本能的に正しい行いである、と感心した。
 頑張れ!生き物達!


道後温泉を目指すが詳細地図がないため讃岐うどんを食べてから情報収集に出る。
2番口で客待ちしていたタクシーの運転手さんに色々と質問をし、
結局タクシーで道後温泉まで運んでもらう。
大街道-道後温泉まではガラ空きでタクシー代は1,030円であった。
”ぼっちゃん”の道後温泉に浸る。
かなり熱い湯で子供達は早々に湯船から飛び出る。
観光客目当ての温泉であったがあの”城崎にて”で体験した様な慇懃無礼な不快な温泉ではなく、
どの人も皆親切で丁寧であった。


前回松山に来たのはもう17年も前の事であまり憶えていない。
第一次47都道府県巡りの旅の46都道府県目が愛媛・松山であった。
(以後四国を訪れる機会が増えた)
一昨年2004年より第二次47都道府県巡りを開始し、これで四国4県制覇となった。
 (本宮ひろしの漫画”男一匹がき大将”や”おおぼら一代”、”俺の空”の様に
   腕力や喧嘩で全国制覇しようというのではない)
 (制覇と言っても”行った”というだけであくまでも記憶・記録・自己満足だけのものである)

一六タルトを買って”ちんちん電車”で大街道で戻る。

さぁ帰るぞ!

ナビ担当者も記録係も松山自動車道に乗った途端に眠ってしまう。
 まぁ仕方が無いが、あまり役に立たない連中だ。

ガムを噛みながら、韓国のKBSや北京放送の日本語番組を聴きながら走る。
 (もし限界が来たら何処かにPAに車を放り込み朝まで眠ろう、と決めていた)

本来なら”しまなみ海道”経由で尾道-関西というルートを想定していたが
夜になってしまったので瀬戸中央道を選ぶ。

あっと言う間に児島・鷲羽山という懐かしい地名を通り過ぎ倉敷・岡山ときて姫路を通過する。

後一日あれば佐田岬を目指しそこからフェリーで別府に渡って北九州をかすめて帰って来た筈である。


1月4日の午前1時過ぎにはアジトに着いた。
渋滞に巻き込まれることも無く快適な走りであった。

 松山-アジト 358km 3時間48分 平均時速 94.2km/h

つまりは高知-松山間(下道)の2倍速であるが・・・橋を渡る費用、高速代を計算に入れると、渋滞に
巻き込まれていたら割りに合わない。



こうして今回の旅も終わった。



翌朝1月4日も午前6時30分に起床した。

子供達が起きてきたのはそれぞれ午前9時30分と午前10時であった。


鍋と温泉・・・ここに行きているための自分なりの存在理由があるのかもしれない。


走行 距離 690km
一日 176km
二日目 514km
 区間データ
高知 - 松山 137km 3 時間 3 44.9km/h
松山 - アジト 358km 3 時間 48 94.2km/h

 

総費用:

1 交通費 31,044
2 食費 28,794
3 宿泊費 8,510
4 入場料 900
5 土産(その 19,808
合計 89,056




<<後記>>

欲望の果てには一体何があるのだろうか?と近年そればかり考えている。

似非フェミニストであり、原始共産主義的民族主義者であるので
権力の発生ということにも大変興味がある。

しかし世界は平和で人類みな平等だとは思わない。
 (それは理想ではあるが現実はそうではない。
  世界は不幸と災禍にまみれ、人類は偏見と差別と不公平と不条理の世界に生きているのが現実である)

[中略]



Pさん曰く、「全ては無に帰る」というのも一理あると思う。

ずーっと旅の氷点を迎えたままで解ける気配は無いが、それでもやはり積極的に旅に出たいと思う。


怠惰な自分はなるべく無為に時を過ごしたいと思うが、転がり続ける石に苔は生えない!ということで
やはり旅を続けないとならない。

そしてその路銀を稼ぐために心血を注ぐのである!

<<待て!次号>>