"喜劇!駅前林道"単車偏屈者遍歴



  煩悩:山葉GT50

 思えば理不尽な時代だった。原付の免許を取れる高校生になっても乗せ
 ない、乗らない、買わせないの「3ない運動」の真っ只中、通っていた
 大阪府内の高校はその上ご丁寧に「見せない」の「3ない+1(プラス1)
 運動」までやっていた。馬鹿げた話だ。
 まあ通っていた学校の単車の事故死が多かったのも事実だ。
 なんせあの頃は、暴走族全盛の時代、リーゼントとかパンチ頭に長ラン
 なんていう、アホ面さげた奴等が廻りにゴロゴロ居た。
 腐った高校生時代だった。

 卒業後二浪。只管暗い時代。
 で、原付の免許を取ったのが二浪後の春、受験から合格発表までのモラ
 トリアム期間、3月の中旬だった気がする。

 地元の大学に入学後、迷わず山岳部の門を叩いた。
 当時HawkIIに乗っていた獣医学部の先輩に
  「昔乗ってたミニトレが寮に有るから取りにいくんやったらただでやるで」
 と言われキーを貰った。
 初夏の暑い日差しの中、学校から寮まで延々押して帰ってきた記憶があ
 る。妙に嬉しく、懐かしい記憶だ。

 銀色タンクに白と黒のライン模様、何年式だったかは不明。
 当時の山葉独特のタンクは、多分初期の頃のものだろう。
 書類も無かったそのGT50はその日から「学内移動専用」の自分の単車に
 なった。

 部活の練習そっちのけで、山口県出身の同級生石井と、農学部裏の農園
 の空き地でモトクロスと称して走り回っていた。ただおかしな事にヘル
 メットだけは山岳部の岩登り用のを、しっかりと被っていた記憶がある。

 ナンバーが無いので公道には出られなかったが、広い学内を走り廻って
 は楽しんだ。或る時などカーブを曲がった所で山岳部の先輩の乗ったク
 ルマに正面から突っ込みかけ転倒、と言う痛い思いもしたが、、。
 高校、浪人とただ暗い10代後半だったので、その反動が大学に入って一
 気に出たのだろう、と今思えばそう思う。

 はてさて、GT50はあれからどうしたのだったか?
 確か、或る時キックしたら、シリンダーガスケットが抜け、圧縮が無く
 なって「ジ・エンド」だった気がする。
 単車屋で修理費5000円とか言われ、貧乏暇有りだった学生には、直す気
 力は有っても、先立つ金が無かった。

 ただ何時まで経っても捨て切れず、当時2階にあった山岳部の部室に強引
 に持ちこんで、他の部員に顰蹙を買ったのもしっかり憶えている。

 まだあの部室にGT50は有るのだろうか?

     


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