"喜劇!駅前林道"単車偏屈者遍歴


 煩悩:GB250


今から思えば、オッサン臭い単車に乗っていたものだと思う。
当時はまだ21歳。最初はCB250RSかRS-Zが欲しかったのだが、時代が間に合わなかった。

一回生の終わりの春先、「競わない体育会」山岳部も所詮「体育会」だった。
組織で山に登る事に失望。ニ回生からはノンポリ自宅通学生になった。

夏休み、バイトで金を貯め、中免を取った。
普免と同時に取る奴も多かったが、二輪に拘った。只管若かった。
(その時の拘りが十数年後に苦労を強いる事になるのだが)
・・・・・・でも先立つものが無かった。

冬にバイトを掛け持ちし、漸く月賦の頭金程度が貯まった頃、既に松屋町の二輪街には
RSもRS-Zも残っていなかった。車体色が黒で、同じ本田の250シングルと言う理由だけで
選んだ。頭金を含め、月賦12回払いだった気がする。
そして納車日、自分の単車が持てた嬉しさとは裏腹に、初めて乗った時にGT50に初めて乗
った時ほどの、感激も感動も沸かなかったのを良く憶えている。

誰もが乗り始めて直ぐにお定まりでやる最高速チャレンジ。
振動が酷く、ハンドルは取られ、風圧も凄く、メータ読み高々130Km/Hしか出なかった。
「GBってこんなもんか?」と言う感じだった。

念願の旅にも出た。四国一周、山陰中国一周。
だが、同じ様にGT50で遊んだ石井も、もう一人の友人秋山君も、既に半年以上年季があっ
た。
初心者の自分とは技術に歴然とした差がありすぎた。
泊りはユース。野宿を提案しても「疲れるやん」と却下だった。
あの「何とか共和国」とか名づけて、ミーティングと称して自己紹介をさせるとか、酒が
飲めないとか、ユース独特の「こっぱずかしい空間」が大嫌いだった。馴染めなかった。
だからいつも旅の途中から単独行で帰ってきた。

それよりも自宅学校の片道30Kmを、如何に速く走るかなんて事に熱中した。
幸い、GB250の軽さだけがここでは唯一の魅力だった。
或る日、スリ抜け中に米屋の車にドアをいきなり開けられて接触、転倒。
幸い怪我は大した事はなかったが、示談に来た保険屋に完全に舐められ、GBは原状に直し
ても真っ直ぐ走らない単車になっていた。
人身扱いにしとけば良かったと思ったが後の祭り。

最後は単なる通学仕様だった。

     


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