"喜劇!駅前林道"単車偏屈者遍歴



煩悩:GPz400



これは四回生の秋、近所に住む高校生の紹介でバーターで手に入れた。
バーターと言っても、確か追金で相手に2万円位、高校生には礼金1万円位渡したの
ではなかったか?ハッキリ憶えていない。当時は250と400では一般的な金銭的価値
が全く違っていた。(今も変わらないだろうが)

写真で見る分には解らないが、最初から結構イジッてあった。
実は錆々の赤茶けたエキパイには、モリワキのフォーサイトがついていた。
高回転まで抜けていく音は実に良かったが、見た目は実に汚く、当時自分で「ナカ
ムラ」の集合と自虐的に呼んでいた。(旧い東本漫画のギャグやね)
ハンドルは前輪を真っ直ぐ立てると右側が若干、ほんの数ミリだが手前に来た。
恐らくFフォークが捩れていたのだろう。
バーター品だったので、決して程度の良いものでは無かったが仕方なかった。

ただ、走りの方は流石にヨンヒャクだった。
ナナハン譲りの大柄な車格は重たく、取り回しは辛かったが、走り出すと250のヒラ
ヒラ感とは段違いの安定感があった。まさに「オンザレール感覚」でのめり込むのは
そんなに時間が掛からなかった。
コーナーリングにしても、安定感と、切れ込まない、ふら付かない素直なハンドリン
グでまずこける気がしなかった。当時、18インチの効用も何も解らなかったが、後年
16インチに乗ってみて、直ぐに切れ込む、妙なハンドリングに馴染めなかったのも、
このGPzで知った18インチの素直なハンドリングが好みだったからかも知れない。

ところで、写真は学生最後の春休みに相棒の石井と、バイト先の連中二人の計四人で
沖縄に行った時のものだ。赤帽の、宅配助手のバイトで貯めた10万円を握り締めて南
国に向かった。そしてこの時が初めての野宿をしながらの単車旅だったのではなかっ
たか?今、思い出した。

鹿児島では鹿児島大学の中にテントを張った。夜半に暴風雨が吹き荒れテントは浸水、
夜明け過ぎまで話しながら起きていた記憶がある。当時、缶ビール1本で充分酔えた我
々だったが、一体何を話していたのか、、、。

沖縄上陸の前には、与論島に寄った。
砂糖黍以外は、ナーンにも無い南の島、夜浜辺に出れば満天の星に圧倒された記憶が今
も鮮明に残っている。

沖縄の道は噂通りのスリッピングロードに、少々ビビッた。(直ぐに慣れるのだが)
只管、本島の北の端、辺戸岬を目指したのは、単車乗りの哀しい「サガ」か、、、。
嘉手納に向かうR58、我がモノ顔に走る米軍トラックの列の中をワザワザすり抜け、
Yankee Go Home!!って叫びながら走ったのも、今は昔、懐かしい思い出。
(ドタマの悪そうな海兵隊に、よく轢き殺されなかったものだ・・・)

88年3月末、車検切れと就職を控え東大阪の中古屋に売りにいった。
逆に廃棄料として4000円位取られたのもしっかり記憶している。

 

     


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