"喜劇!駅前林道"単車偏屈者遍歴



煩悩:GPz400F

懐かしい写真やネェ。
確か89年2月、マキノ知内南浜での「大走の鍋」の時のスナップ。英蟯虫氏に撮ってもらったもの。
あの頃はまだ「喜劇!!駅前林道」は名乗ってなかったんやねぇ。
この後に「一番寒い真冬、一番暑い真夏に鍋をしよう!」と言うのが唯一決めた「駅前林道」のルールやったね・・・
 
ところで、だ。
このGPzの話やね。
佐野絶望工場で3ヶ月の新人研修を終え配属になって、関西に戻ってきた翌週には松屋町で単車を探していた。
当時欲しかったのがXJ400ZS、けどタマ不足で全く見つからず。
偶然入った単車屋のオヤジに「年端も行かん高校生よりは、兄ちゃんみたいなベテランにこのGP乗って欲しい」とセールストークに乗せられ(騙され?)て、頭金無し、36回払いで購入したもの。
 
当時、給料手取り10万を切る時代。
自分にとっては清水の舞台から飛び降りる覚悟だった。(大ゲサな・・・)
 
入手はどうあれ、納車一週間後の盆休みにはテント括りつけて北陸、信州そしてはるばる関東まで旅に出ていた。
あの旅は楽しかったなァ。絶望工場とか言いながら佐野まで行ったりね、、、。
 
あの頃は宝塚の寮住まいで、、、毎週毎週週末には1日数百キロ、飽きもせず良く走った。
「壮大な道草」とか言って宛も無くただテント持って出かけたり、、とかね。
特に琵琶湖とか、丹後とかが好きだった。
 
けど不思議と他人と走る機会は無かったな。
殆どが単独。
フラっと出ては、雨の日も、風の日もとり付かれた様にメシも食わず走っていた。
何が楽しかったのかは知らないが、、、、そう考えると、今の私の原点になる単車だと思う。
 
ただ今から考えれば、案外この単車に乗っていた期間は短かった。
 
「大走の鍋」の2ヶ月後の89年GW。
九州に旅に出た、その上陸初日。
激しい雨の中、佐賀県唐津の山の中の国道で前輪からスリップダウン、自爆転倒・・・
自分自身は怪我一つ無かったが、GPzは廃車だった。
 
今でも苦い思い出であり、またそれが「次はGPz1100に乗ってやる」と限定解除を決心したキッカケでもあった。
 



     


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