"喜劇!駅前林道"単車偏屈者遍歴



英蟯虫:Honda MCX50

  19歳になるかならないかの頃、金沢(石川県公安委員会)で原付の免許をとった。
バイク乗りとしては遅いデビューだが"3無い運動"最盛期だったから仕方が無い。
”3無い運動”を始めとして抑圧され続けた高校時代ではあったが
金沢(実際には金沢市南郊)ではその反動で余計に解放感が増した。
 先ず、髪を伸ばした。まぁ散髪屋に行く経済的な余裕が無かったので3-4ヶ月
に1回しか髪を切れなかったのもあるが、最初の頃は反抗的精神で伸ばした。
口ひげも生やしていた。今思うと、笑う。
 カルロス・ゴーンでさえ自伝「ルネッサンス」の中で
「学生時代というものは母親の耳には入れたくないようなこともするものだ」と
記しているくらいなので我々が無茶苦茶出鱈目な生活を送っていても仕方
ないだろう。

 さてこの本田のMCX50は原付でオヤジがポンと新車で買ってくれた。
本当はMBX50の方が良かったが実家の最寄の自転車屋のカタログには
MCX50しか載っていなかった。オヤジはスーパーカブを買い与える
つもりでいたようだったがドサクサ紛れでMCX50になった。
当時の定価で十数万円だったと思うが総合カタログではMCX50の小さな
全体写真があるくらいで細かなところまでの判別はつかなかった。
オヤジはせいぜい2-3万円くらいだろうという感覚でいたし、実際
後日集金の際に自分で小切手を切るわけでもないのでこのバイクの本当
価格は知らなかったと思う。今でも知らないと思う。
自分のオヤジだけでなく戦後から高度成長期を体験した連中は
モノの価値というか物価というものをあまり気にせずバリバリ働いて
生き抜いてきたので物の値段が一桁違うようなことがよくあった。
まして我がオヤジは金と物には無頓着だったので自転車屋に息子を
連れていき、カタログを見せて「どれにする」とその場で即決させて
それで終わり。時間にして5分ほどだった。そしてオヤジはそのまま
現場に戻っていった。

 このバイクは2サイクルで当時の原付の最大制限馬力7.2馬力に近い
7.0馬力くらいあったと思う。とにかくよく走った。エンジン・オイルは
途中から当然の様にカストロールを入れるようになっていた。
最初の夏は一日かけて金沢から和歌山まで帰省したり、4名で能登半島を一周したりした。
 デザインは完全にアメリカンなのだが2ストエンジンなので走り方は全然ゆったりとして
おらずとにかく白煙を撒き散らして、パーン・パーン・パーン・パン・パンと言った
2スト走りが楽しめた。当時はまだ原付がノーヘルの時代だった。


     


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