Aug 28 2003 up



4月29日(火)


うつぼ公園まで自転車でテニスをしに行った。
|実に片道45分のドライブ。
テニスをする前から疲れてしまった。
帰りは中華料理店で補給した生ビールをエネルギーにして帰宅。
4時間のテニスをあわせ久しぶりのハードな運動となった。


4月30日(水)

会社に行く。
明日からのゴールデンウィークに備え、夜11時ごろまでかかって仕上げて帰宅。
昨日の疲労とかさなり、くたくた。


5月1日(木)

テニススクールで2コマレッスンを受ける。
その後、昼食前に生ビール。
よく晴れた暑い日だったので、日焼けし真っ黒。


5月2日(金)

前日同様、テニススクールで2コマレッスンを受ける。
その後、お決まりの生ビール。


5月3日(土)

午前中、中島公園で3時間テニスをする。
昼食でノンアルコールビールに挑戦。非常にまずい。
水を飲んでいたほうがましだった。
夕方、先生他テニス仲間とミナミで飲み会。
昼間ののどの渇きも手伝って酒量も豪快に。


5月4日(日)

伊藤君に連れられ八尾の公営テニスコートでテニスをする。
帰りは、近鉄電車で帰るが途中梅田の飲み屋に入ってしまい飲んで帰る。



5月5日(月)

淀川河川敷のテニスコートまで自転車で行く。
片道50分の道のり、帰りは1時間以上かかって帰宅。
このとき折りたたみ自転車の硬いサドルでお尻が痛くなっていた。


とここまでは、ゴールデンウィークを中心にテニスをたくさんし、
ビールをたくさん飲んでショックの硬い自転車に長時間乗っていたことを知ってもらいたくて書いたものです。
ここからお尻の痛みとの戦いが始まります。




5月6日(火)

中途半端なゴールデンウィークを終え、会社に出勤する日。
会社に着いてトイレで小便をしたとき、最後に雫を切るためのお尻の穴を締める運動をさせると肛門付近が少しズキッとした。
前日までの自転車の乗りすぎのためと解釈し、何も気にせずに過ごす。


5月7日(水)

肛門の穴を縮小させるときの痛みが少し大きくなっている。
が、まだちょっとした腫れがある程度と見込み気にせずに過ごしていたが、
夕方工場長と廃品処理場にPCのディスプレイを取りに行き事務所まで運ぶ途中に
重量物を運ぶときの気張りで尻の痛みが激しくなってきたことを感じた。



5月8日(木)


朝の大便の時から痛みを感じ、日増しに腫れが大きくなっていることを自覚する。
この週末で痛みがひかなければ医者に診てもらおうと決める。
仕事中、いすに座っていること自体が辛くなってきた。
もうまっすぐ座れない。
半けつを浮かし、腫れた部分が圧迫されないように座らなければならない状態になった。



5月9日(金)

痛みはさらに増し、明日にでも医者に診てもらおうかと思ったが、
土曜日はお見合いをしなければならなかったので、やはり月曜日まで我慢することにした。
が痛みがひどく仕事を早く切り上げ、8時には帰宅した。



5月10日(土)

見合いをした。
喫茶店の硬いいすに1時間くらいしかまともに座ってられず、
話も顔を歪めながらしかできず、相手の話の内容は、そっちのけで早くこの場を終わらせたいとばかり考えていた。
1時間くらい会話しただけで別れるのは失礼と思い、喫茶店を出て周辺を散歩しながら会話の続きをした。
しかし、歩く度に肛門が擦れ痛むので散歩もかなりきつかった。
痛みを我慢しながらの会話で脂汗をかきながらも何とか2時間近く稼いだ。
ようやく梅田で一人きりになれたあと薬局で痔の塗り薬を生まれて始めて購入した。
この腫れが痔だとは思っていなかったが、薬に記載されている鎮痛効果と腫がひくことを期待し購入した。
塗ってはみたものの痛みは緩和されなかった。
気を取り直して朝から何も食べていなかったことに気付いた私は、
すし屋に入り鎮痛効果を期待し、生ビール、焼酎湯割りを飲みながら1日を振り返えっていた。
帰宅すると、弟家族が遊びに来ていた。
その後も家族の誰にも打ち明けず平静を装い一緒に晩酌しそそくさと部屋に戻り
一番楽な姿勢である寝そべる状態で「どういった医者に診てもらえばいいのか」を考えていた。


5月11日(日)

朝食を食べながら新聞を読んでいると肛門科専門医の広告が目に入ってきた。
場所は、大阪駅前ビルと便利である。明日この病院に行ってみようと決めた。
本当は、インターネットで情報収集し、適当なところを探すつもりであったが、
座って何かをするということが辛くてできない状態までになっていた。
さらに弟家族を含む家族全員には、説明せず平静を装っていたのでなるべくみんなの前に顔をだすようにした。
夜はまた、酒を飲んで早々と寝た。


5月12日(月)

昨日見つけた病院に行った。
車を駅前ビル地下に駐車し、病院に到着したのは8時30分。
診察受付は9時からなので、余裕と思いきや病院の前にはすでに10人ほど並んで待っていた。
少しでも早く治療を受け早く会社に行こうと思っていたのでこの状況に愕然とした。
9時になりシャッターが開き、中に入って受付で保険証を差出し「初診です」と言うと
「内は、保険が使えないですが、よろしいですか?」と言われ
初診料が5000円であること付け加えられた。
私は、保険が利かないのにこれだけ患者がならんでいるのだから大丈夫と思い、同意し初診料を支払った。
9時30分になり診察が始まった。
並んだ順番に呼ばれて診察室に入っていく。
30分ほどして自分の名前が呼ばれた。
中に入ると一人の先生と1対1で問診を受けた。
痛み方と過去の病歴、さらには、ここをどうやって知ったかまで聞かれた。
問診が終わると痔に関する冊子を渡され、待っている間に読んでおくように言われた。
この冊子はこの病院が作成したもので
主に院長先生がメディアに受けた取材や新聞などの掲載記事で構成されており、
素人でもわかるよう専門用語が少なく読みやすい内容であった。
この冊子で自分の症状と痔の種類を照合してみると漠然とではあるが、
肛門周囲膿瘍というものが一番近いのかと感じていた矢先、
今度は本当の診察に呼ばれた。
お尻を診察する診察台を始めて目にした。
寝台と寝台から約60cm上方の片側に両脚のかかとを乗せる台がある。
枕があるのでどちらが頭でお尻かはすぐにわかる。
ズボンを脱いでパンツ1枚になり、寝台に寝そべり足を専用の台に乗せるよう看護婦に指示を受けそれに従い準備が完了した。
その姿は、赤ちゃんがオムツを交換されるときの姿勢からさらに足を上げ、お尻が浮いた格好になっている。
その姿勢からパンツをお尻側から肛門が見えるところまでずらされた。
その後まもなく先生が入ってきた。
先ほど問診を受けた先生でなく。
冊子に載っていた院長先生であった。
簡単に問診を繰返し、患部を少し触っただけで「これは痔ろうです。
今から膿をだすのでこの診察台では無理なので場所を移しましょう」と言った。
移った次の診察台は、電動油圧式で周囲の設備も見違えるほど電子機械的になっていた。
でも診察を受ける格好は、先ほどと同じである。
再び診察台に乗り準備ができたところで今度は、尻の毛を剃られることになった。
これから、切開して膿を出すのでとのこと。
若い看護婦さんでこれは実に恥ずかしかった。
でもこのときは、切開という言葉に緊張して羞恥心は奥のほうに引っ込んでいたようで、
世間話もほどほどに意外と冷静だった。
そしてついに切開作業が始まった。
まず切開前にポラロイドで1枚撮影した。
麻酔が痛いといわれていたのだが言葉どおり本当に痛かった。
麻酔は部分麻酔で肛門の周りに何本かわからないほど注射を受けた。
暴れないように看護婦が足を抱えていたが、もう片方の足も必要ともう一人看護婦が入ってきて私の両足は完全にガードされた。
先生は、世間話をしながら手際よく作業をすすめる。
切開が始まり膿がでたあと膿の発生経路に辿って切開していくらしく、
どんな道具を使っているのかわからないままどんどん作業は進んでいった。
そんな中、膿がある部分は麻酔が効かないらしく非常に痛いときがあった。
痛いというと麻酔を撃たれるのですがそれも痛いし、
ついには「ギェ!」と叫んでしまった。
すると先生は「他の患者に聞こえたかな」といって作業を進め2,30分で切開作業は終了した。
終了後、痔ろうは膿を出しただけでは直らないので手術する必要があると言われ、少し休んだ後、説明されることになった。
場所を休憩用寝台に移し、横になりながら貰った冊子を一通り読んだ結果、やはり痔ろうには手術が必要であることが記載されており、ことの重大さを思い知った。
休憩後、切開前後の写真を見ながら今後の説明を受けた。
手術は30万することと手術は約1、2週間後にするほうが良いとのことだった。
切開後の写真には、肛門と尾てい骨の間に切開された部分にドレイン管が埋め込まれそこから膿が排出される姿になっている。
私は手術の有無をその場では伝えず、薬をもらって会社に向かった。
車を運転して会社に行くわけだが、麻酔を受けたのと突然の痛みの恐怖とで運転がぎこちなく危険であった。
看護婦の指示通り途中で、脱脂綿とテープを購入した。
2,3時間に1度交換する必要があるからだ。
会社に行くともう昼休み間近だった。
周りの人間に尻を切開して膿を出してもらったことを説明した。
当然他人事だし、その後会社に来ているので大したことに見えなかったようだ。


5月13日(火)

この日も朝から病院にいった。
車は怖いので電車でいった。
切開後の傷は、きれいにうまくいっているらしい。
前夜も痛み止めの必要もなくよく眠った。
この日は、今後自分でしなければならない処置の説明を受けた。
それは、ドレイン横に差し込まれたガーゼの交換である。
これを毎日朝晩交換しなければならないという。
これができない人は毎日通院して交換してもらいにこなければならない。
なんといっても切開した傷口にガーゼを自分で詰めるのである。
初めての交換はこの日の夜である。
まず、鏡をまたいで自分で自分の肛門を見なければならない。
これまで何事もなかったのでこれが、自分の肛門を拝む始めての体験になる。
脱脂綿を取り除き、自分の肛門を鏡越しに眺めるとドレインが埋め込まれた痛々しい姿があった。
そしてその傍に詰められているガーゼ確認しピンセットでつまみ、引き抜く。
このとき傷が擦れて痛く思い切って引っ張れない。
ゆっくりと引っ張っていく。
およそ4cmくらいの長さのガーゼが出てきた。つぎに自分でガーゼを詰める。
綿棒にガーゼをあてて傷口のドレイン横から綿棒を挿入しようとしたが、痛いし綿棒の頭が傷口より大きいため入らない。
そこで、綿棒の頭をはさみで切り落とし、そこにガーゼをあてて挿入してみた。
痛かったこともあり、びびっていたこともありで数ミリの挿入になりましたがガーゼが埋まったのでホッとした。
なんといっても鏡をみながらの作業で足は痺れるはで今後大変だと感じながら翌朝のガーゼ交換を考慮し目覚ましを30分早めて就寝した。



5月14日(水)

この日の朝もガーゼの交換に苦戦しながらも電車で通勤した。
手術を受ける決心はできていたがいつ手術を受けるかを会社の都合を考えて決めなければ成らない。
このところSARSのために海外業務が停滞気味であったが、
ユーザーの都合でどうしても5月中に中国にきて欲しいとの要望にどう応えるかが懸案となっている。
その状況をどう受け止めるか悩んだ。
上長からは中国には自分に言ってもらう旨を伝えられた。


5月15日(木)

病院にいった。
ガーゼの交換がうまくできていると言われた。
意外な評価だった。
自分では、傷口に満足に挿入できていないと思っていたからだ。
妻帯者は、奥さんにしてもらうこともあるそうで独身者はなかなか難しいらしい。
その独身者のなかですこしましな程度だったのだと思う。
手術後のことを伺った。
まず、完治するまで禁酒。
手術後2週間は1,2日に1回は、通院が必要その後週1回。
「完治するまで禁酒できますか?」と聞かれ「ハイ」と答えたあと
完治するのにどれくらいかかるか訊ねたところ「6ヶ月」といわれ
「ガビーン」
痔ろうにお酒はダメと言われていたが直る6ヵ月後まで我慢しなければならないとは。


5月16日(金)

病院にいって手術の希望日を伝えた。
23日(金)を希望した。
しかし、予約が埋まっていて結局30日になった。
次週は、新人の課題研究発表があったりでこちらの都合も悪かったからである。



5月17日(土)

友人の結婚式に出席する。
酒が飲めないことにどう対応するか考えた結果、車を運転していきそれを理由に断ることにした。
もちろん自分に対する抑制のためでもある。
披露宴に行くと会社の連中だらけであった。
親しい人間に痔ろうになって手術しなければならないこと、酒が飲めないことを打ち明けた。
今回友人代表のスピーチを頼まれていた。
新郎とは3年以上会っておらず、新婦の情報もほとんど皆無な中、スピーチを承諾した自分も自分であるが、新郎も・・・である。
私は話すのが苦手なので、酔った勢いでとっとと済ませることを前提にスピーチに取組むつもりだったのに
酒が飲めない事は、のっぴきならない事態である。
当初話すつもりだったことを10%程度しか言えなかった。



5月19日(月

病院に行った。
手術を受ける意思を伝え、希望日を23日(金)と申し出た。
がその日は予約で一杯になっており、26日を勧められたが27日に後輩の会社での発表会が控えていたので、
と折り合わず結局30日になった。
切開してから3週間近く経過するため、
「せっかく手術し易い状態なのに傷が塞がってしまう。ドレインが外れないように気を付けて」と言われた。
私も早く手術を受け、早くテニスを再開し、酒も飲めるようになりたいと思っていただけに術日が遅れるのは歓迎できなかった。


5月27日(火)

傷に慣れ、手入れに慣れ、普段どおりの生活ができるようになってきた頃である。
発表会は、1日中座っていなければならない今の私にとっては辛い作業である。
2,3時間ぶっ通しで座っていると脱脂綿で抑圧された部分に痺れが出始める。
休憩になるとたちっぱなしでお尻を開放させ脱脂綿を交換しリフレッシュさせる。
この辛さも膿が貯まっていたときのものに比べればなんてことはない。



5月29日(木)

手術前日、普段どおりの仕事をこなし少し早い目に帰宅した。
明日は生まれて初めての手術である。
体力をつけ、ゆっくり睡眠をと22時に就寝した。
寝ながらもらった冊子、インターネット、及び先生、看護婦からの説明から手術の内容をイメージしていた。
自分はこの痛みに耐えられるのだろうか、途中で漏らしたりしないだろうかなどを気にしつつ気がつけば次の日の朝だった。


5月30日(金)

手術は、15時からだったが会社を休んだ。
普段どおり朝から起きていた。
結構緊張してくる。
少し早く家を出て梅田でこれからのお尻の手入れセットを携帯するための手段にとウェストポーチを購入しようと決めていたのでそれを見ておこうと思った。
が、乗ったバスが渋滞につかまり、梅田に着くと時間の余裕がなくなっていた。
仕方なくそのまま、病院へ直行した。
受付の前に立つとさっそく「この薬を飲んでください。緊張を緩和させるお薬です」といって渡されその場で飲んだ。
甘いレモンの味つけが施され非常に飲みやすい顆粒の薬だった。
飲んだあとすぐに診察室に案内された。
切開されたときと同じ診察室であった。
切開してから約3週間でお尻に毛が生え戻っていたのかもう一度剃られた。
そして写真撮影。
看護婦が緊張をほぐすよう気楽な会話をしてくれているなか院長先生が入ってこられた。
両脇に看護婦が付き、手術が始まった。
最初に肛門周囲全体に麻酔注射を打たれた。
これがあとから考えれば一番痛かったかもしれない。
注射は、およそ10発近くを肛門周囲に均等にそして多分すばやく打たれた。
体が反りあがりそうになるところを両脇の看護婦に押さえつけられなんとか麻酔が終了した。
その後、一連の作業が行われたのであるが本人の視界には、
手術の作業部分はおろかツールすら見ることができない。
ただあるのは、肛門に何かパイプのようなものを突っ込まれている感触と穴を掘っているなといのがわかる程度である。
途中でイボもあるらしくその肛門内部にあるイボを外に出してゴム輪で縛る処置も受けた。
手術は45分程度で終了した。
通常1,2時間かかるといわれていたので早く終わったほうなのでしょうか。
術後の姿は、肛門と尾てい骨の間に切開された部分から痔ろうの経路をたどって掘られた穴が肛門部分に貫通した状態になっている。
その貫通部分にゴムひもを通し、鼻輪のようになっていた。手術後は、休憩用ベットで少し休んで今後の、処置の説明を受けたのち普通に歩いて帰宅した。
その日の夕食は食欲が出ず、あまり食べないまま就寝した。
鎮痛剤も使用せず楽に休めた。


5月31日(土)

朝から傷が少し疼き始めた。
病院で診てもらうことになっていたので、朝から他の人と一緒に前でシャッターが開くのを待った。

お尻のお手入れキット




現在執筆中!

<<待て! 次号!>>




現在執筆中!

<<待て! 次号!>>





     
Copyright ©
1989-200
3 Ekimaerindo   All Rights Reserved.