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煩悩:気がつけば原発街道

シーンその1「民族大移動」
 シーンその2 「ニッポンの原風景 遠野」
 シーンその3 「コバルトラインは鉛色」
 シーンその4 「日本最低峰」
シーンその5「雨宿り温泉」
 シーンその6 「南東北小さな旅、阿武隈やきもの紀行」
 シーンその7 「振り向けば原発街道」
シーンその8「終着駅」
シーンその9「旅の終わりは犬吠崎」

 

2002/5/3(金) 快晴
15735Km〜16473Km 738Km
小平〜浦和〜(東北道)〜水沢〜遠野〜陸前高田〜気仙沼〜神割崎
 
シーンその1「民族大移動」
 
内心「シマッタ!!」と思ったね。
朝の六時台、東北道下り。
浦和本線から入った途端、延々続く長蛇の列。
黄金週間後半四連休の初日、しかも絶好の行楽日和。
覚悟はしていたが、、やはりこの光景を見ると、これから前進する気分が萎える。
 
せいぜい宇都宮位までの渋滞と思っていたが、、、、気がつけば矢板、那須を過ぎ福島の白河。
それでも、おっかなびっくり久方ぶりにハンドルを握るのであろう、世のオトーサン達のクルマ
の列は、途切れない途切れない。
これがニッポンの連休の現実。
 
渋滞が途切れのは宮城仙台を過ぎた辺り、それまで東京から約350Km。
東京からはるばる6時間、岩手の水沢ICで高速を下りる頃には、疲れが先に立っていた。
 
教訓その1---疲れないBMと言う神話は道路の混雑が無い場合に限る。渋滞は何に乗っても疲れる。
 
シーンその2「ニッポンの原風景 遠野」
 
それにしても高速から国道に入り、岩手の風景の中に入ると何故だかホッとするね。
交通量が極端に少ない東和町辺り、右に左になだらかな高原に沿って道は緩いアップダウンを繰り
返しながら続く国道を流しながら走っていく。
天気も五月晴れ、気温は低くもなく、高すぎる事もなくこりゃ気持ちがエエ。
 
やがて遠野着。
昔々、日本の原風景の地として憧れてきた遠野では有ったが、、、ごくフツーの何処にでも有る様
な単なる田舎だった。(んなモンだろうがフツーは)
 
個人的にはニッポンの原風景って、、、青森下北半島とか鹿児島大隈&薩摩半島とかの気がするね。
いかんいかん、そんな事を言ったら、折角ここまで渋滞の中、苦労してやって来た甲斐が無いやん。
 
そりゃあ街中だけで無く、ちょっと外れに入れば、曲家とかがあって、また違った印象ができるので
あろうが、この日は実際、渋滞に疲れていたのも有って、そんな時間的余裕も、ココロの余裕も無か
ったのだ。
 
三年振りに単車旅を再開したおっかなびっくりハンドルを握るオトーサン(だからもうエエって)に
とっては、やはり初日からの渋滞六百キロが響いたのかもうこれ以上走る気がしなくなって、今日は
早々に野宿地に探す事としよう。
と思ったのだが、世の中そんなに甘く無かった。
 
 
陸中高田迄走って適当な野宿地を探してみたものの、、、、、、道の駅に隣接する県営運動公園は
ニヶ月前からの予約が無ければ泊れないと門前払い。(流石「県営」手続だけはしっかりしてるねぇ)
高田松原と言う名の通りの海岸は野宿禁止、近所にはその他にはオートキャンプ場しか無いのだ。
 
地図を見て迷った挙句、五十キロ程度南下した宮城県に適当な頃合のキャンプ場を発見。
辺りは既に夕刻なので、早々に岩手県を退散、一路南下する事にするも、、、、、気仙沼のスーパー
で買出ししたり、そこの駐車場で余裕かまして近所のオッサンと話しをしたリしている内に、すっかり
日が暮れてしまい、通行量の少ない国道をトボトボ(と言うかノロノロ)南下し、この日の野宿地に
着いたのは夜のとばりが落ちた19:30位だった。
 
まあこの日の夕食は、キャンプ場受付のおばちゃんに貰った貝の炊込み御飯に牛タン塩焼き、トマト、
豆腐冷奴とビール&日本酒でかなりリッチ。
 
2002/5/4(土) 曇後雨
16473Km〜16814Km 341Km
神割崎〜牡鹿半島〜松島〜日和山〜相馬〜蒲庭温泉〜大堀窯〜天神浜
 
昨日の疲れを残しながら、これまた早朝の出発。
それにしてもパニヤバッグは優れモノ。
"あーでもない、こーでもない"と試行錯誤を繰り返しながら鞄に詰めこむ時間は全く必要無し。
なーんでも放りこんでフタすれば、これが立派な旅姿になるのだから大したもんだ。
 
シーンその3「コバルトラインは鉛色」
 
ニッポン全国、天気予報を確認してもこの日は何処に行ってもアタマ、、否、天気が悪そう。
雨から逃れるため、ただひたすら海沿いを南下。
 
どんよりとした鉛色の空の下、交通量の少ないこれも鉛色の海を眺めながら、狭いワインデ
ィングを駆抜ける。
途中、入り江か川か解らない程広い北上川を越え、気がつくと牡鹿半島だった。
アップダウンの続く牡鹿コバルトラインと言う尾根を往く道を快調に飛ばす。
尾根沿いなので風が強い。
晴れていると景色が期待できるのだが、右も左も鉛色の空と海。
なーんかこっちの気分まで鉛色になりながら、牡鹿半島の先っぽに到着。
目の前にはウラ霞んだ、これまた鉛色の金華山。
 
そしてまた南下。
途中、道が急に良くなったと思ったら、、、"女川原発"の近所だった。
そこで初めて牡鹿コバルトラインと言う脈絡の無い名前の謎が解ける。
コバルト=放射線物質やんけ・・・・・・。
 
奥松島、松島と続く海岸線を、なーんの感動も無く、ただ無目的に移動する。
"何故そんな事をする?"(東本昌平作"キリン"より抜粋)なーんて聞かれても、、、、
自分でも"えぇーマジわかんないぃ!"(女子高生風)。
脳味噌が長時間の移動と加速を繰り返す事でハイな気分になる体質なんだろう!?多分。
 
シーンその4「日本最低峰」
 
"この頂に達するには、深いヤブコギも、徒渉も、ましてや高度の登攀技術も必要は無い。
 ただルートを見極める能力と絶対的な方向感覚が、その頂に達する成否の鍵を握るのである。
 今まで何人の登山家がその頂を極めようと挑戦し、何度夢破れた事か・・・・・"
 
深田久弥だったら、名著"日本百名山"でこの山をこう書いただろうか?(んなワケないやろ!)
 
縮尺十三万分の一の昭文社ツーリングマップからでは、この山のアプローチは難しかった。
石釜から国道を南下、仙台の東端をかすめ日和山に近づくも、何度もルート確認のため停止する
こと数回。Uターン二回。
動物の勘と、長年の放浪の勘で、何とか"日和山はこちら→"の看板を見つけた。
ため池と荒地に挟まれた狭い道の向こう、海岸脇にその頂はあった。
そのピークまでは階段でわずか十四歩。
 
PM12:15 念願の日和山ピーク(標高6.05m)を征服。
 
ピークには"元祖 日本一低い山 日和山"の看板が立ち、既に地元パーティ(母親と子供二人)
が寛いでいた。
 
独りで登頂の喜びを缶コーヒーで祝杯、喉を潤し登頂の記念を祝う。
けど、これじゃ"日本百名山"よりはなーんか"日本最末端紀行"みたいでんなぁ。
 
シーンその5「雨宿り温泉」
 
相馬で遅目の昼飯。
店を出て走り出した途端、今にも泣き出しそうだった空からポツポツと降り出した。
その雨の中、緩いアップダウンの県道を行くと、松林の中にポツンと一件、蒲庭温泉は有った。
 
真昼間からその昔、徳富蘇峰(って確か国粋主義者?)のお気に入りだったと言うその温泉の二
坪ほどの湯船に浸かり体を伸ばし、聞こえてくるカエルの大合唱を聞いていると、日頃の憂さも
旅の疲れも忘れ、ただ幸せ。
 
 "相馬野の田の中の湯にわれ浸り、憂さを忘れる春の一日"(煩悩)
 
温泉を出るとすっかり雨は上がっていた。
 
シーンその6「南東北小さな旅、阿武隈やきもの紀行」
 
その昔、小学生の頃習った"阿武隈山地"。
急峻な山脈とは違い、なだらかな丘の様な"山地"だと憶えていたが・・・・まさにその通り。
想像の通り、なだらかな山肌を縫うように走る県道は、交通量も少なく適度な中高速コーナーと
アップダウンの織り成す快適ロード。
必然的にペースも上がる。
 
そんな山村の開けた場所に窯元の煙突、そうあの独特の煙突がポツンポツンと立っていた。
ここは、"大堀相馬焼"の産地。
 
最近、仕事でも日帰りツーリングでも何処かに移動すれば土産に"やきもの"を買う。
 
やきものと言えば、京都の清水焼、岡山備前焼、瀬戸焼、古伊万里に代表される伊万里焼等々、
有名どころは山ほど有るが、、、、日本全国、その土地土地で知られざるやきものは多い。
大体この狭い島国で、沖縄から北海道まで合わせ主な窯場で約八十以上も有ると聞く。
 
自分自身で色々なやきものを見るのは好きだし、それを土産に持って帰れば、これまた食器類
にはちょっとウルサイ我が配偶者のご機嫌もとれる、まさに一石二鳥のお土産なのだ。
(ちょっと下心やな・・・)
 
丁度、この日は"陶器まつり"をやっていて、大堀焼会館に向かう。
そこには有るは有るは、、、一輪差しの花器から大皿、小皿、湯呑、猪口、箸置、お玉入れまで
、、、ありとあらゆる大堀相馬焼が並んでいた。
しかもその殆どが大堀相馬焼の特徴である"走り馬"の絵付と器に広がる青ひび模様、、、
で、結局私が選んだのはあえて"走り馬"の絵付の無い、光沢の無い渋みの有る薄緑のお玉入れ。
この時は、自分自身でも"あまのじゃく"と思いちょっと呆れたね。
 
大堀焼会館を出てから暫くしてまた雨。
 
結局、この日は県道を伝い出た、海沿いの天神浜キャンプ場にテントを張る。
夜半まで小雨が降り続くものの、夕飯とビール&日本酒でかなり良い気分で夜を過ごした。
 
2002/5/5(日) 曇後快晴
16814Km〜17236Km 422Km
天神浜〜いわき〜阿字ヶ浦〜鹿島〜犬吠崎〜(東金道他)〜うみほたる〜川崎〜小平
 
朝、晴れ間が覗く。
 
昨日"最終日はいわきICから常磐道に乗って早々に帰宅"と思っていたが、晴れていると人間は単純。
地図を見て、このまま海沿いを行けば、へへへ・・・・・(気持ち悪いなぁ)
 
シーンその7「振り向けば原発街道」
 
早々に天神浜を撤収、国道(R6)で南下開始。
それにしても晴れてはいるが風のきつい日。
ただひたすら国道を淡々と進む。
 
福島県から茨城県に入る、いよいよ東北ともお別れ、また関東に戻ってきた。
太平洋から白波の押し寄せる海沿いを走ったりはするものの、この辺りはあまり印象が薄い。
ただ淡々と走るのみ。
 
出発時は晴れ間が覗く程度だった天気も、太陽が上がってくるにつれ完全に五月晴れ。
そして暑い。
 
途中、道が良くなったり悪くなったりで渋滞。
渋滞中、ふと道沿いのフェンスで囲まれた敷地を見ると機動隊・・ここは東海原発だった。
 
よーく考えてみる。
昨日の晩、テントの中で地図を見ていたら天神浜の北数キロに"福島第二原発"があった。
その北数キロ先には"福島第一原発。
一昨日は"女川原発"。
むむっ、、、、ずーと私が通ってきたルートは実は"原発街道"だったのだ・・・・・。
な〜んか気分は複雑・・・・・
 
シーンその8「終着駅」
 
茨城って地方ローカル私鉄の宝庫なんだよっ!
って言っても"鉄道"なんかに興味の無い人にはどーでもエエこと。
むかーし、小学生から中学生くらいまで"鉄道マニア"だった私はやはり気になる、この辺り。
 
阿字ヶ浦と言う妙な名前も、そうそう、むかーし小学六年生で買った"鉄道ファン"誌に載っ
ていたのを今でもしっかり憶えている。
 
茨城交通なんて言う"儲かってないんやろなー"と思える私鉄の終着駅が"阿字ヶ浦駅"だった。
単線の線路が海に向かって伸びて行き、、、やがて途切れる。
なんかウラ寂しい、抒情詩的世界・・・
 
これぞ"駅前林道"のイメージする駅前だったりして。
 
シーンその9「旅の終わりは犬吠崎」
 
今日は5月5日。
何の変哲も無い関東平野の東の端を淡々と走り、"でッけーぇ"鯉のぼりの上がる田舎道を茨城
県から、千葉県へと向かう。
 
走り始めた三日前、まだ東北は春だったのに、ここまで来れば日差しはきつく、夏はすぐそこ、、
 
季節は巡り巡り、自分にとって38回目の夏がやってくる。 
そしてワシはまだ何も見つけられずこういう風に旅に出ては漂っている。
今年の夏は何か見つかるだろうか・・・・・・
(於 銚子大橋の手前の大渋滞、暑く暑くて意識朦朧のヘルメットの中でぶつぶつ)
 
利根川を銚子大橋で渡りきる。
そこは千葉県。
 
ひたすら海沿いに走ってきたこの旅の、フィナーレを飾る犬吠崎は直ぐそこだった。




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