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煩悩:東海道ハイゼット珍道中(1999/2/11〜2/14)



(プロローグ)
今から考えれば、この旅は最初から波乱含みの旅だった。
2/11〜2/14迄、有休を一日挟んでの連休を関西遠征にしようとBull氏と決めた事までは
順当だった。
が、いよいよ出発と言う一日前になって、冬の寒さが一段と厳しくなるこの時期の天候に計
画は二転三転。
東京から大阪方面に向かうには、なんせ箱根で雪に降られる公算が「大!」となり、単車で
は走れない(私は最初、クルマに単車を載せて行く予定やった)。
”那智勝浦着のフェリー”で行くか?
それともBull氏が私のハイゼット号に同乗して今回は単車を諦めるか?
迷った挙げ句に”旅は道連れ”でハイゼット号で高速を一気に走ると言う方向性が決まった
のが出発当日の朝九時だった。
そんな波乱の前置きが有って、この珍道中は始まったのだ。

99/2/11  雨のち雪
浦和〜上野〜海老名〜熱海〜沼津〜一宮〜関ヶ原〜多賀

出発前、ハイゼット号の荷台にシートを被せていたら雨が降り出した。
朝は薄日も差していたのに、天気予報通りの展開に渋い顔。
単車で旅に出る時は雨の出発は嫌な物だが、例えそれがクルマだとて気持は同じ。
やはり晴れていた方が圧倒的に気持ちがいい。
12:10浦和を出発、R4を南下し上野に向かう。
上野の「風魔」の前でBull氏を拾い昼飯にトンカツを食って、14時半。
いよいよ私の運転、Bull氏のナビでハイゼット号は東京を出発した。

首都高に乗った所で雨が雪に変わる。
内心「こりゃヤバイなぁ」と思いながら、
運転席「雪降ってきましたでぇ」
助手席「東京でこの冬初めての積雪になるかもしれませんね」
と至って平和な返事。
いやいやその前にワシャぁチェーン持ってないのよ。
ここで積雪されたら都内抜けれませんでぇ。

首都高から東名に入った時には完全に路面に積雪し始め、50キロ規制が出ていた。
免許とってまだ二月、クルマ乗り始めてひと月たっていない私には、こんな道は恐怖以外の
何者でもない。
最初の休憩ポイント海老名迄の間に何回後輪が滑った事か。
内心は後輪が滑るたびに「ズルズル、ガッシャ〜ン」と言う衝突のシーンを想像してビクビク。
なんせ軽トラで衝突したら、まあ”即身成仏”間違いなしやからね。

海老名で休憩。道路情報に見入る。
しばし休憩して「じゃあ行きますかぁ」と言う時になって出たぁ!チェーン規制!。
一気に予定ルート変更して、厚木から小田原を通り熱海に抜け、伊豆を横断して沼津に出る
事にする。

雪の降る中、小田原厚木道路に入る。
さすがに暫く走ると雪から雨に変わり、更には空も若干明るい。
順調に4速ベタ踏み80〜90Km/hでエンジン音を唸らせながらハイゼット号を走らせる。
小田原に出た所で助手席からBull氏に「水温計高いですね」と指摘される。
う〜ん、良く良く見ると確かにちょっと高い、、、、
”この寒さで何故こんなに水温が高いの?”と思ったが、、、、、、
この時は「こんなもんやろ、回しすぎたんかな?」なんて暢気な事を言ってたのだ。

小雨の小田原から熱海に出て、無茶苦茶勾配のきつい熱函道路で伊豆を山越えし沼津へ。
単車と比べてペースは全く遅いが、まあこんなもんやろ。
沼津からは再び東名に合流、またもやエンジン音を唸らせながら80〜90Km/h、ちょっと飛
ばせば100km/h位でハイゼットを走らせる。
 
そこまでエンジンを廻すと、今回の旅の為に導入したトランジスタラジオ(\1,980)がエンジン
回転に同調し”ウィ〜ン、ウィ〜ン”とノイズを発するだけで、まるで用を成さない。

牧の原で給油、浜名湖でウナ玉丼を食って、この時は順調に西進している様に思えていた。
何せ二人で「多賀着は夜の0時頃やな」なんて言ってた訳やから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

浜名湖から大型トラックの洪水の様な、夜の東名道をハイゼット号はひた走る。
旅が始まって最初のうちは「まあボチボチ行きましょか?」等とスローペースだったが、、この頃
になれば、雨も上がり、やはり先を急ぐ気持ちからか、80Km/h以上で警告音が”ブ〜ブ〜”
鳴っていても「これウルサイなぁ。取ってもたろか?」等と言い出す始末。
けど警告音が出るって事は、やはり何らかの危険が有るから鳴るワケで、、、、

確か名古屋を過ぎて暫く走った所だった。
90Km/hアクセル全開で走っていたら、いきなりエンジンが吹けなくなった。
私は「あれぇ?あれぇ?」と言うのが精一杯。
ヨロヨロと惰性で走り、路肩にやっとの思いでハイゼット号を寄せてハザード点灯!!
同時にエンジン停止!。
僅かな間を開けてすぐ右横を20トンクラスの長距離トラックがガンガン飛ばして走って行くも、
この時は箱の中に居るだけで妙な安心感を持っていた。
 
実際は非常に危険な状況で、後から考えるととんでもなく恐ろしい事なんやけど、、、、。

で、Bull氏に「まずい!突然吹けん様になった!ワケ解らん!」と説明になってない説明。
だって何と言っていいか解らんのやから。
 
「どないしたんやろか?」等と二人で言いながら、とりあえずエンジン始動を試みると、何事も無
かったかの様にエンジン復活!
一体何が原因でどうなったのか、二人して全く状況が掴めぬまま。
とにかく、トロトロと走り始めるも、不安で不安で仕方が無い。
暫く様子を見ながら走っていたら、今度は異様に車内が臭い!何か焦げてる臭いがする!。

運転席「何かコゲてるニオイせえへん?」。
助手席「これ何か焼けてるんちゃいます?」
運転席「まずい!・・・・・・・・・・・・・」
という事で、偶然一宮の出口に差し掛かったので東名高速を這々(ほうほう)の体で脱出した。
 
車を降りて荷台から何から調べてみてもナーンの異常も無い。
結局二人で出した結論は”オーバーヒート”だったのだが、、、、、この時、二人してシート下の
クーラントなんか見る余裕も無かった、、、、。

もう完全に高速で走って行く気が失せたので作戦会議。
R22からR21を経て関ヶ原を越えて米原に向かう事にする。
時計を見るとこの時、既に2/12の0時を過ぎていた。
水温計は高いままだが、まあ何とか走れそうなので、60Km/h位で騙し騙しクルマを走らせる。
関ヶ原から峠を越える所では「凍結注意」の表示が出るは、長距離トラックに煽られるは、雪は
降るは、おまけにフロントガラスが曇って前が全く見えないはの四重苦ヘレンケラー状態。
 
この時ばかりは「こんなんやって事故っても笑われるだけで同情の余地無しやな、、、、、、、」
と、かなりハラを括って走った。

漸く、峠を越え滋賀県入り。
米原から再度、東名道に入りこの日の最終予定地の多賀SAに到着したのは2/12の午前1時半。
駐車場には何とこの寒いのに福岡ナンバーのZXR400が停まっている。
「この寒い中ようやるなぁ」と、壊れかけの軽トラで来た”軟弱ライダー二人組”は感心しつつ、
早々にSA内の「レストイン多賀」にチェックイン。
部屋に入った直後、爆睡に至ったのは言うまでもない。

99/2/12  雪のち晴 
多賀〜栗東〜宇治〜枚方〜茨木〜池田〜宝塚

目が覚めたのは7時半だった。
外は粉雪が舞っている滋賀北部特有の天候。
風呂に入り、朝飯を食って、ハイゼット号に乗り込む。
エンジンは難無く掛かるが、不安は拭えない。
暖気の間、二人でルート検索。
高速で八日市迄行って、その後はR8で南下でルートは決まった。

雪が舞う本線に乗って暫く走行、相変わらず水温計は高いまま。
八日市で東名を下り、R422を通ってR8に合流。
クルマの調子は良くは無いけど、まあ走る事は走るのでそのまま走行を続行。
運転席「何が原因なんやろ」
助手席「さあクルマの事はさっぱり解らんけど、やはり水温異常でしょうかねぇ」
なんて会話が繰り返される。

栗東で、反対車線側にオートバックスを発見。
早々店にクルマを止めて一連のクルマのトラブル事情を説明、裏のピットに入る様に指示される。
ピットに入って整備の兄ちゃんに再度説明。

整備の兄ちゃんは、シート下を開けてすかさず「お客さん、これクーラント全然入ってませんわ」と
あっけなく問題点を指摘。
「あっ、そうみたいやね、単車と違うからそこ迄気が付かんかった」と変な言い訳。
(何も言い訳せんでもエエねんけど)
あと、「冷却ファンが回っていないですねぇ。うちでは配線直結して、応急措置は出来るけど本格
的に直すのであればディーラーの方がカタイよ」と言われるも、こっちもどうしようも無いので「応急
措置でエエんで直して貰いまへんか?」と訴え、結局ファンの配線直結とクーラント補充を実施し
て貰う。

兄ちゃん曰く「今まで殆ど空冷状態で走ってたんやと思います。まあこの時期やから走れてたと思
うんですけど、、、」との事。
じゃあ単に我々は”運が良かった”だけな訳やね。

オートバックスを出て暫く走り、草津市内で昼飯。
飯も食って、本屋で帰りの不安から紀伊勝浦発の東京行きフェリーの時刻を確認(確認したつもり
だったと言った方が良いかもしれない)し出発。
 
今は13時半。
昨日、上野を出たのが14時半。よってもう24時間近くもクルマで走っている訳や。
こんな事やるってホンマにヒマやなぁ、わしら。

その後は大津からR422を宇治に出るつもりが道に迷い、急遽、京滋バイパスを通ってR1に出た。
クルマもこの頃は快調で、R171をトロトロ南下し、無事17時に懐かしい宝塚社宅前に到着。

この夜は、〇er、〇っ、〇っのフィアンセ、〇師匠、JOさん、〇かんさん等々、、、、、、
懐かしい顔ぶれで宴会を楽しんだのだった。

99/2/13  晴のち一部雪、のち晴
宝塚〜西宮〜川西〜高槻〜京都〜草津〜鈴鹿峠〜四日市〜名古屋〜豊橋〜浜松〜御前崎
〜静岡〜沼津〜箱根峠〜小田原〜横浜〜東京〜浦和

前夜の宴会はやはり無茶楽しかった。
で、最後の方は流石に運転疲れと”鏡月”の酔いでヘロヘロ状態の内に、宴は幕を閉じた。

朝7時半に目が覚める。
8時過ぎ顔を洗ってたら、〇っが現われる。しばらく話して出勤を見送り。

その15分後、トラックの荷造りをしていたら、JOさん登場。
礼を言って、1〇1の鍵を渡す。
私が退職する時も送別会をここでやってもらった事を思い出し、これで1〇1も最後かと思うと残念
でならない。
最後にJOさんと記念写真を2枚撮って、出勤を見送り。
そして8時半いよいよ三日目の旅は始まった。



まずは西宮まで南下し朝食を取った後、作戦会議。
で、那智勝浦からのフェリーの予約状況を知ろうと勝浦のフェリー事務所に電話をしてみるも、
ただ繰り返しテープが流されるだけ。
 
仕方が無いのでフェリーの東京事務所に電話をしてみる。
私「あの〜勝浦から東京に着く2/14の3時20分発の船の事なんですが?」
事務所のネエチャン「勝浦発は2/13ですからもう出てしまってます」

”ガチョーン”なのである。
そうなのだ、、、我々は思い込みで2/14に勝浦発だと勘違いしてた訳や。
この時点で「自走で帰る」と言う選択肢しか残ってなかったワケである。
仕方がないので、「まあボチボチ行きまひょか?」と言ってはみるものの、、、、、、、、、、、、、
こうなった以上、あと二日の休みを遊びながら帰ったろうやないの。

で、折角ここ迄来たのだから小林モータースに行こうと言う事になった。
暫く走って店に着いて、「久しぶりです」と入っていく。
こっちは確か数年振りやのに、小林のオッチャンは変わってないな〜、、、、、、、、、、、、、
相変わらず表情一つ変えないで「やぁ、何しに来たん」
と言いながら、その日納車だと言う本田シルクロードを整備していた。
(数年振りに会って、昨日会ったばっかしみたいな小林のオッチャンはエライ)

店は昔とちっとも変わってなく、鈴木GT750や川崎W1とかの旧い単車がさりげなく、まるで新
車の様に置かれていた。
それらを眺めながら、たまにオッチャンと話をしながら店に居座る事、約1時間。
「それじゃ帰りますわ、また春頃来ますわ」
「東京までやろ、まあ気ぃ付けて帰りや〜」
と言われ、11時頃、店を後にした。

川西からR171を通る。
昔、小林モータースに行き始めた時の事等々の話を交わしながら高槻を過ぎ、順調に京都に
入りR1に合流。
二人共そろそろ腹が減り始めたので「久しぶりに関西風ウドンが食いたい!」
と言う事で意見が一致、雪のちらつく逢坂峠を越え大津でウドン屋発見!すかさず入る。

大津から再びR1で鈴鹿越えに向かう。
昼飯を食った後で、しかも道は空いて単調な田舎の国道。
流石に眠たくなりアクビが絶えないので、途中”道の駅土山”で休憩、その時既に15時前。
休憩の後、今日最初の難関と思いきや、意外とあっけらかんと鈴鹿峠を越え三重県入り。
関町、鈴鹿、を過ぎ四日市で交通量の多いR23にスイッチ。
道は只管単調で退屈そのもの。
 
丁度、西日が陰りだし、今までエンジン回転に共鳴して、ただノイズを発するだけであった
ラジオが、この時ばかりは快調で、、、、”竹内まりや”の「駅」が流れ出す。
思わず懐かしくなって口ずさむ内、約十年前位の事を次々と思い出す。
ハイゼット号の運転席には、ちょ〜っと感傷に浸るオジサンの姿が有った。

日がどっぷりと暮れた頃、名古屋に入り土曜渋滞にはまる。
この頃からついにハイゼット号が本格的に壊れ始める。
右側の指示器の調子がおかしく、うまい角度でレバーを倒さないとリレーが働かないのだろ
うか、、点滅しない。
が今更、停まって直す気も無いので、そのまま走る。
 
ハイゼット号の運転は疲れると言うより、ただ只管ケツの痛みとの戦い。
夕飯を食っている時は、ナビのBull氏が気を遣ってくれて「もう高速乗って帰りましょう」と言っ
てくれたのだが、いざ運転し出すと
運転席「このまま下道で帰らへんか?」
助手席「そうしましょう」
となり、結局、豊橋から下道で帰る事でハラが決まった。

真っ暗な中、静岡県に入り浜名湖と思しき所を通る。
浜松でガス補給したのが確か21時45分位。
そのままR1を行くのも阿呆臭いので、途中でR150で御前崎を通って行く事にする。
運転席「今日はどの辺で泊りでしょうかね」
助手席「さあ沼津の健康ランドか、伊豆まで行ければ温泉もエエですね」
な〜んて言いながら、なだらかな起伏の浜岡海岸を抜け、御前崎を過ぎ、大井川を渡り、
大崩海岸では狭いワインディングを、全然頼りにならない坊主タイヤを鳴らしながら攻める。
(攻めた気になっているだけ)
やがて静岡の夜景が見えてきて、恐らく0時前位に静岡市を通過。再びR1に合流。

流石にこの頃になると、会話も無く、只管走るだけ。運転手もナビも、どちらとも「何処か適当
な健康ランドで泊まろう」と言い出す事もせず、黙々と東進を続ける。
富士由比バイパスに入って富士川を過ぎた頃「このペースで行けば3時頃東京着か?」等と
言い出して、暗黙の内に走り切る事になる。

この時間のバイパスは、いわゆるサーキット族みたいな奴がバンバン走っている。
80Km/h位で走るハイゼット号に、突っ込まんばかりにシルビアとかスカイラインとかが追越し
ていく。
追い越される度に「用も無いのに夜中に走り回るな!アタマ悪いんかコイツら!」と思ったが、
よーく考えると、我々も用も無いのに、夜中に軽トラ転がしてる訳やから、、、、、、、、、、、
あまり他人の事は言えんな。

最後の難所、箱根峠に差し掛かる。
はじめは4速で走っていたが、すぐに力が無くなって40Km/hを切るようになる。
3速に落として、再び「天下の険」を40Km/h丁度で延々登る。
運転席「この先が頂上か?」
助手席「いやマダマダ先・・・」
運転席「もうこの先やろ?」
助手席「いやぁマダマダ先まで・・・・」
と言いながらエェ加減、登り坂に飽きた頃、峠を越えた。
ここからは箱根新道を一直線に下り、小田原へ、湘南海岸、平塚と通り、遂に横浜!!。

戸塚あたりから横浜新道に入り、第三京浜を通り、多摩川を越え東京都内に入ったのが
午前3時過ぎ。
霞ヶ関を抜けて江東区のBull氏の家の前に着いたのが丁度4時。
そこからは浅草を通り、途中で対向車線の暴走族を横目で見物しながら、無事浦和に着
いたのは、、2/14の朝5時だった。

出発から到着まで1,403Km、いろいろ有ったが、まあ生きて帰れただけ「良し」でしょうかね。

(エピローグ)
今回の旅は全く最初の計画と異なる結果となってしまった。
結果としては「殆ど空荷で二人乗りで走る」と言う事が幸いしたとしか思えないですな。
最初の計画の様に、単車なんか載せていっていたら、恐らく都内を出れたかどうか?
例え高速迄はたどり着いても、高速の真ん中で単車を背負ったまま立ち往生していたら・・・
と思うとちょっと怖い。

基本的に十数年前の軽トラで、しかもろくに整備もしていない軽トラなんかでは高速移動は
不可だと思うね。
けど、こいつが無かったら、この連休のあの雪の中では恐らく、関西には新幹線でしか移動
できなかった。
まあ新幹線&レンタカーが一番楽やったやろうけどね。
 

     


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