"喜劇!駅前林道"旅日記



英蟯虫:ある週末

何かが急に弾けたとしか言い様がない。
金曜日の夕方に急に電話が重なり、バタバタとそれを処理してから映画を観に行った。
切符売り場には若いヒスパニック系のアメリカ人やメキシコ人の兄ちゃんや姉ちゃんが塊って無秩序にに並んでいた。切符を買ってから映画館に入場し売店でホット・ドッグと一番小さなポップコーンと水を買った。

映画は古き良き時代のアメリカの脱獄囚の話しだった。元々気分が乗らなかったせいもあるが肝心な会話がほとんど聞き取れもせず、聞き取れても意味は不明で、ほとんどが体に入ってこなかった。

数日前に観た異常犯犯罪を題材とした映画「ハンニバル」の10分の1も体に染み込まなかった。
自宅に戻りダラダラと寝床で夜に抵抗して午前2時頃電灯と点けたままそのまま寝入ってしまった。
土曜日の朝10時頃に目が覚めたがまた眠ってしまった。
また別の夢の中でその前に見た夢の内容を知人友人に説明している。
不思議なことにその説明している夢自体も珍しく、夢を見ながらこれは夢だと認識しているのだった。正午過ぎに起きて髭だけを剃った。別に空腹でもなかったが三つで1ドルの即席ラーメンをチーズ入りのソーセージを2本鍋に放り込みフライパンでキャベツと残りの豚肉2切れを放り込んで炒めた。

食後にコーヒーを入れて寝床でコーヒーをすすりながら届いたばかりの「湾岸ミッドナイト19巻」を時間をかけてゆっくりと読み次にまた届いたばかりの「ああ無情」を読んだ。そして読みかけの司馬遼太郎の「アメリカ素描」をパラパラとめくって片目で文字を追った。午後4時頃そのまま深い眠りにおちた。どうしてこう眠れるのだろうか?先週のアマリロ行きの疲れが残っているのか?

このまま明日の朝まで眠ってもいいような気がしたが午後8時頃半覚醒のままよろよろと起き上がり煮詰まったコーヒーの残りを飲んで冷凍してあるチョコレートの破片を齧った。口の中は黴菌だかバクテリアだかが繁殖して嫌な味がした。多分匂いも酷い匂いがする筈だ。隣に寝ている誰かでなくて本人で良かった。コーヒーは熱くて不味いだけでコールタールのような感じがしたのでよく冷えた缶のハイネケンを一本出してチビチビと寝床でやりながら村上春樹の「1973年のピンボール」をパラパラと読んだ。アムステルダムで飲んだかってのハイネケンはドブの味がしてあまり好んで飲むビールではなかったが昨年からアメリカでも売り始めたニュー・リアルのハイネケンは生ビールに近い新鮮な味がして最近はよく買って飲んでいる。何度か村上春樹を中断してそのまま眠ろうと思ったがしばらくしてまた文字を追った。相変わらず半覚醒のままで文字の表層を追うだけならとっつきやすい村上春樹の文章でも下手糞な翻訳者がロシア語から訳したドストエフスキーの難解な文章のような感じで文字が体の中に入ってこなかった。

途中で酔いが静かに回ってきて急に何かが弾けたようにしてシャワーを浴びた。シャワーを浴びてから日本へ二回目の電話をかけたが誰も出なかった。そしてリスペクトという2枚組のCDの2枚目のCDをかけてこれを書いている。その気になったら今週末はツーソンに行こうと思っていた。アマリロに比べたら片道500kmという距離もその気になれば大したことがないように思える。2時間半ほど運転しガス給油しお叱呼しコーヒーを飲んでまた2時間半ほど走ればそれで到着してしまう。ただしその気にはならなかった。

今井君から電話があった。すぐ近くにいる筈なのに遠い電話だった。二言三言話しているうちにブツリと電話は切れた。すぐに電話をかけ直そうとしたがどこにかけていいのか検討がつかなった。かかってくるのを待つしかない。しばらく経って電話はかかってきた。しかし相手は今井君ではなくて慇懃無礼な物言いの女性だった。「モーテル6ですが、 さんはスーパー・バイザーでいらっしゃいますよね?」返答に窮した。たしかにそう聞かれればそういう立場で出張することもある。しかしこの街にいてモーテル6に泊まる必要などない・・・ひょっとしたら今井君の泊まっているのが何処かの街のモーテル6かもしれない。
続けざまに女性は言った「当方のデータではそういう風になっていますが、そうでしょうか?」そうでないと向こうにとって都合が悪いようだ。アメリカではいきなり電話がかかってきて機械的に質問を繰り返す。目的など説明されたためしはない。向こうだって電話をかけながら目の前のモニターにキーボードからYesとかNoとか入力していくだけだ。いきなりの今井君からの電話で混乱していた上にわけのわからない質問なので更に混乱していた。「スーパー・バイザーかもしれないけれど、今日は泊まる必要もなく予約もしていないのですが」と答えるのがやっとだった。返事はなかった。そういうのは画面上に入力出来る選択肢として準備されていないのだと思う。
逆にこちらから質問してみた。「今井君という客は今日は泊まっていますか?」返事はなかった。そしてしばらくの沈黙の後で電話が切れた。こちらからかけ直すのは無理だということは潜在的に知っていた。いつも一方的に電話がかかってくるだけだ。

ドンドンと乱暴に玄関のドアを殴りつける音がするので階段の下を見ると綺麗にたたまれたピンクの小さな正方形のタオルが一つ玄関マットの上に置いてあった。誰が?
階段を下りていって鍵を開けようとすると鍵はかかっておらず、ドアも完全に閉じていなかった。
開けると同時に白いコートを着て白い帽子を被った大柄の白人アメリカ人が押し入ってきた。
一瞬ひるんだがその白人はすぐに表に飛び出して無言のまま右手で地面に錯乱したピンクのタオルと屋根を指差した。指し終わると右手で帽子を押さえた。左手は最初からコートを襟元を押さえたままだ。そしてその白人は足早に雨と風の闇の中を去って行った。

いつの間にか日が暮れてあたりは闇に包まれて更には雨が降って強い風が吹いていた。そんな外の世界のことも全然知らなかった。あの白人は何かを伝え様としたのか?

それに自分の部屋の窓か屋根からかピンクの小さなタオルが外に向かって吹き飛ばされている理由がわからない。
物干し台も何もないのに。
ピンクのタオルなど手にしたこともないのに、何故どうしてこんな大量に?

ところで今井君は一体どこから電話をかけてきているのだ?
そこの電話番号も知らないし、そこの地図もないし、強力な足となるバイクも無い。

   
  

     


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