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英蟯虫: Isle of Man


[テキストは執筆中]

[Isle of Man Gallery] 注)ネスケはサポートしていません。



注)MB誌投稿記事:しかし当然の如く没記事。
  (今から思うと没で良かった。前半はかなり過激な内容であったため
  現時点はここでも[中略]と[削除]とさせていただく)
  タイトルは投稿当時のまま。
  写真等はまた後日準備が整ってからアップする予定です。

寒い、寂しい、怖い
マン島
TTツーリングだよー
ON!! 


 はじめに
 家族と離散した生活も、もうすぐ
5年目に突入する。バイクに乗る時
間は年々少なくなっているが、バイ
クの事を考えている時間は年々増え
ている。人生を浪費して消耗するだ
けの日々の生活において、バイクが
唯一精神を安定させてくれる。抑圧
された生活をさせられているこの4
年間にバイクとは自分にとって一体
何なのか、という事をじっくりと考
えさせられた。バイクに乗るという
事はおいらにとって生きる事と同義
だと言える。

   [中略]

   [削除]

 一番の衝撃は奴がバイ
ク乗りだった事だ。奴との事が解決
するまでどうしても西風をなおす気
にはなれず春が来ても廃車同然の悲
惨な状態だった。そんなある日、ふ
とした事から森脇ヨーロッパを主宰
している伊集院さんと知り合う事が
出来た。そして7月に日本に一時帰
国している間に西風は約1年振りに
伊集院さんの手で完璧に甦っていた。
気持ちを切り換えるために8月の第
二週目に旅に出た。スイス、南フラ
ンスを経て目指せスペイン・バルセ
ロナ、と言う計画だった。初日だか
らあまり無理をせずに、と思ってバ
ーデン・バーデンで泊まろうと思い
市内でビールを飲んで休憩した。さ
ぁ宿を探そうと思い西風の所に戻る
と、何かおかしい。ナンバー・プレ
ートが無い。わずか三十分足らずの
間に、誰が何のために。盗まれたの
か走行中に欠落して何処かに落っこ
としたのはわからない。後者の方を
信じたい。ナンバー・プレート無し
では国境は越えられない。とにかく
初日リタイア。この時は片山右京の
気持ちがよくわかった。警察へ行き
書類を作成してもらい近くの宿に飛
び込み風呂に入って寝た。翌日来た
道を家まで帰る。'96年夏から始まっ
たイタリアの仕事が少し落ち着いた
ら'97年の2月になっていた。例年に
なく今年の冬、特に2月になってか
らは暖かく週末は天気がいいので毎
週末西風に乗った。そしてイースタ
ー(復活祭)休暇を迎える事になっ
た。行き先は一か八かでマン島しか
無い、とかねてから密かに計画を練
っていた。そして出発の日の午後会
社でこの事を同僚のイギリス人に言
うと彼は一日でリヴァプールまで行
くのは無理だと断言した。
 3月27日午後11時に荷造りを終
えて走り始めた。とにかく眠い。そ
れに西風でアウト・バーンを走り続
けるのは拷問に近い。とにかく
150km毎に給油、放尿、飲珈琲、を
繰り返すだけ。ベルギーのブルジュ
ーの近くで、たった4kmの区間で
土砂降りの雨にやられてズブ濡れに
なった。この時点で体がすっかり冷
え切ってしまった。フランスのカレ
ーを目指すが風がやたらと強い。西
風はそんなに軽いバイクじゃないけ
れど真っ直ぐ走らせるのに苦労した。
それに寒さで体が凍えて歯がガチガ
チいっている。それでも走る。何が
楽しいのだろう。楽しく無い、苦し
い。ヒッ、ヒッ、ヒッ、すっかりマ
ゾ。ははっ、女王様、次は何でしょ
うか?
 ここ数年はいつも一人でしか走っ
ていないので特に夜一人で走ってい
るとRCサクセションの「君を呼ん
だのに」という曲のイメージになる。
バイクを飛ばして何処も帰れない。
バイクを飛ばしてもただ帰り続ける
だけの僕らはただ寄り道をしてるん
だ。
 今回はフェリーを使わずに初めて
トンネルを使ってドーヴァー海峡を
くぐる事にした。予約無しでも切符
は手に入ったが、次の電車が出るま
で1時間ある。便待ちの車の列に西
風を止めて、近くのトイレの中に駆
け込みヒーターの上に座り込みガチ
ガチ震えて時を過ごす。眠い、寒い、
キツネうどんが食べたい。ホームを
走り電車に直接西風で乗り込む。前
輪だけをロックされてそれで終わり。
午前5時57分、発車。約十分間泥の
様に眠る。約三十分で対岸のフォー
クストーンに到着。すっかり朝にな
ったがとにかく風が強くて寒い。休
暇が始まったばかりの車で混み始め
たモーター・ウェイを走る。マイル
表示になったのでいちいち頭の中で
計算しなければならないが、朦朧と
した頭の中で何回計算しても同じ答
えは出なかった。バーミンガムを過
ぎたあたり、つまり出発してから
800kmを越えてからようやく、例の
状態、いわゆるバイクと一体化とい
うか体が機械の一部というか、何も
意図したり操作しなくても勝手にバ
イクが走っていく状態になった。こ
れがライダース・ハイというか脳内
で何かが分泌されて非常に気持ちの
いい状態で、この状態を求めてバイ
クに乗るのではないか。つまり中毒
ではないかと思う。それにしても今
回はかなりの時間がかかった。午後
1時丁度にリヴァプールのマン島ダ
グラス行きのフェリー・ターミナル
に着いた。幸い午後2時半に今日の
便があった。だが、満席でどうしよ
うも無いが取りあえずキャンセル待
ちの名簿に名前を記し待った。バイ
ク一台くらいなんとかなると思った
が流石に休暇の初日、出航を半時間
以上遅らせたがどうしてもスペース
が無く翌日に持ち越す事になった。
リヴァプールは治安が悪いのでバイ
クは停めない方がいいとみんな言う
が、何処にいく気にもなれず中心部
から少し離れた所に宿をとり風呂に
入ってからひたすら眠った。朝起き
て西風が無かったらどうしようか、
と思ったがとにかく眠る。
 <本日の走行>1001km

 3月29日、快晴
 正午には宿を追い出されたのでガ
ソリン・スタンドで西風を磨いたり
チェーンを張ったりして時を過ごす
が今夜の出航は午後7時半、まだま
だ時間がある。仕方が無いのでビー
トルズがデビューしたクラブのすぐ
近くのパブでギネス・ビールを飲ん
でゆったりと金曜日の午後を過ごす。
陽気な酔っ払いのオッサンが絡んで
きた。「おめぇもビートルズかぁ? 
こんな街に何しに来た? 日本人は
みんなそうなんだよ、どいつもこい
つもビートルズ、それで全然英語が
わからんちゅうんだから、おかしい
ぜ、まったく」「違うよ、今夜のフ
ェリー待ってるんだ。マン島に走り
に行くんだ」「表の川崎おめぇの
か? 最近はこの国も日本のバイク
ばっかりになっちまったけどマン島
には日本人は誰も走りに来なくなっ
たぜ、昔は本田とか山葉に乗った命
知らずが結構走りに来たもんだぜ、
おめぇよう、イトウとかスズキとか
レーサー知ってっか?」「キタノア
キオなら知ってるけど」てなてな具
合で酔っ払いのオッサンの若かかり
し頃の話に付き合わされる羽目にな
った。オッサンとギネスを何パイン
トか空けた頃、乗船時間が迫って来
たのでパブを出た。まだ見ぬ島、マ
ン島は目の前だ。エンジンをかけて
アクセルをガバッ、と開ける。30cm
も走らないままいきなり西風が左に
こけてしこたま左の膝を路面で強打
した。一瞬何が起こったのかわから
なかった。そうだディスク・ロック
をしたままだった。酔っ払っている
のと、興奮とですっかりそんな事忘
れていた。クラッチ・レバーが曲が
ったのと膝が死ぬほど痛いのを除け
ば損傷は無かった。
 出航してから4時間後にマン島の
ダグラスに船は着いた。今夜の宿を
探すためにダグラスの中心街に向け
て走り始める。後2ヶ月足らずで今
年のTTレースが始まるというのに
まだまだ寒い。それに街も道も暗い。
もうすぐ十二時だ。街外れに出たの
がわかったので引き返す事にした。
交差点を越えて徐行しながら標識を
見ようと振り向いた瞬間、白黒(ゼ
ブラ)塗装した路肩に乗り上げそう
になりいきなり転倒しかけた。マン
島の魔力が何かを語っている様な気
がした。翌日その交差点がTTコー
ス上の最初のコーナーであるクォー
ター・ブリッジである事を知った。
すっかりダグラスの街を通り過ぎて
いたのだ。ダグラスのプロムナード
に面した宿街を一軒一軒順番に当た
るが呼び鈴を押してもどれもこれも
反応は無かった。諦めかけた頃、酔
っ払ったオバサンが出てきた。「マ
ーガレットとゴードン」という個人
の宿屋で、そのオバサンは当然マー
ガレットの方で快く泊めてもらう事
になった。バーで旦那のゴードンと
デューク・ボックスの昔のレコード
音楽を聴きながら二人で酒を飲んで
いたのだ。ギネス・ビールを二杯飲
んで部屋に帰って寝た。
 <本日の走行>24km

 3月30日、曇り、寒い
 朝飯を食べてからしばらく部屋で
気持ちを落ち着かせてからTTコー
スに出る。途中でおかしいと思いな
がらも走り続けるが、いくら走って
もマウンテン・コースに入らないの
で来た道を順番に戻る。結局最初の
コーナーであるクォーター・ブリッ
ジで右ではなく左に曲がり間違えて
いた。冷静に考えるとコースの要所
要所にはオレンジ色の看板があり間
違える事は無い。けれどそんなわか
り易い看板も目に入らない位に冷静
さを欠いていた。TTコースを走る事
に対してワクワクする以上に怖さが
勝っていた。最初の一周はゆっくり
走ろうと決めた。四輪を抜かずに、
又他のバイクとはバトルをしないよ
うに、と決めた。でも四輪も結構飛
ばすし、他のバイクは対向車が来よ
うが来まいが速度制限があろうが無
かろうが切れたように飛ばす。昔バ
イクに乗り始めた頃は速度は絶対的
なものだと思っていた。でも速度は
相対的なもので、例えば同じ100
km/hの速度でも人によって怖かっ
たり怖くなかったり、楽しかったり
楽しくなかったり、同じ人間でも時
により感じ方が違う。前を飛ばすラ
イダーの背中を見ながらそんな事を
考える。集落をやり過ごすとすぐに
速度制限が解除になる。ゆっくり走
っていても前の四輪が先に行けとば
かりに譲ってくれる。マン島自体が
非常に美しい島なのでゆっくり走っ
ても楽しい。走り始める前は色々な
不安があったが他のライダーは各々
のペースで勝手に走っているので気
にせず自分のペースで走れる。TTコ
ースの前半は市街地が中心なので無
理をせずゆっくり走り、メイ・ヒル
の手前から始まるマウンテン・コー
スは可能な限りアクセルを開けた。
こんな感じで自分なりのペースで
TTコースを一周して約1時間。グラ
ンド・スタンド前でしばらく気を静
めてからまたコースに出る。この日
はTTコースを3周しただけ宿に帰
る。
 家族に何も言っていないので、日
本にいる猛妻に恐る恐る電話する。
「そこ何処よ?」
「マン島」
「何にしてんのよ?」
「つまり日高中津分校球児なら甲子
園に行くようなもので、つまりおい
らにとっては甲子園に行ったみたい
なもんで」
「何言ってんの?忙しいから切る
ね」と言ってガチャリと電話を切ら
れた。
 <本日の走行>250km

 3月31日、曇り、寒い
 TTコースを午前の遅い時間から
午後にかけて3周、逆まわりに1周
する。
 TTコースで一番気に入ったのは
12.5マイル付近にある所で、下って
来て民家の鼻先を左に曲がるコーナ
ーの箇所だ。次はマウンテン・コー
スの入口とも言えるメイ・ヒル・コ
ーナーだ。おいらのペースだと次に
そこを走るのは1時間後だ。
 <本日の走行>300km

 4月1日、曇り、寒い
 朝起きた瞬間怖さの方が打ち勝っ
ているのに気付き、朝食を食べてい
る間だ悩み、そして今日は走らない
事に決めた。ダグラスの街を歩いて
ブラブラして一日を過ごした。酒屋
でジン「ボンベイ・サファイア」を
見付けたので部屋に買って帰りチビ
チビ飲んだ。
 マン島の人は自らをマンクス(マ
ン人)と呼び独自の文化を守ってい
る。イギリス人の様に饒舌で数枚舌
でなくてアイリッシュみたいに複雑
でもなく丁度その中間みたいな感じ
で寡黙だけど陽気で親切だ。実際に
マンクスであるナイジェル・マンセ
ルみたいなオジサンが多い。日本円
で一千万出せば結構いい家が手に入
る。家族や仲間と一緒なら移住して
もいいと思う。

 4月2日、曇り一時雨、寒い
 朝から走りたいという欲求があっ
たが寒いし雨が降ったり止んだりな
ので随分悩む。TTコースを一周して
からゆっくりとマン島を一周した。
マン島の最北端に西風を止めて雨混
じりの冷たい潮風を受けていると、
寒くて、怖い事に加えて寂しいとい
う事に気付いた。
 <本日の走行>183km

 4月3日、曇り、寒い
 朝食の後でマーガレットが旅支度
を始めた。今日から休みを取るとは
いっていたけれどこの島の何処へ行
くのだろうか、と思い聞いてみた。
これからロンドンを経由してリスボ
ンに飛び、それから船でマイアミに
行くという。こんな楽園に住んでい
るのにどうして余所に行くのか、と
たずねると、ここにいるのは仕事、
つまり日常、だから余所に行く、と
言う。TTレースの前には帰ってくる
と言う。日常の生活圏から脱出する
のがやはり旅で永遠の楽園というも
のは存在しないのだろうか?
 帰りたくないような、TTコースを
無事走りきった今すぐにでも帰りた
いような複雑な気分のままフェリー
乗り場へ。リヴァプールに上陸した
時は丁度午前0時30分だった。泊ま
って翌朝走ろうか、このまま帰ろう
か迷った。寒いけれど夜空は雲一つ
無い好天なので走れるだけ走る事に
決めて走り始める。バーミンガム手
前で警察によりモーター・ウェイを
強制的に降ろされてしまった。多く
のトレーラーと共に深夜のバーミン
ガム市内を次のインター・チェンジ
を探して彷徨うが何処もかしこも警
察に封鎖されていた。後でわかった
がモーター・ウェイの高架の下に爆
弾が仕掛けられてあったらしい。イ
ギリスのパブやレストランでいると
きはいつも何かわからない恐怖感を
感じある覚悟をして席に座っている。
それは引ったくりだとか置き引きと
かそんなのではなくて足元に置かれ
た鞄の中身がいつ爆発するかもしれ
ない、と思うからだ。1時間くらい
彷徨いモーター・ウェイに乗る事が
出来、再び南を目指す。往路と同じ
様に1タンク分走り、ガス補給、お
叱呼、飲珈琲を繰り返す。途中の休
憩でどうしても体の凍えが取れず、
温風の下でしばらく過ごすが体温は
戻らなかった。自棄糞で走り始めて
しばらくしたら夜が明けてきて明る
くなってきた。でも冷え込みは一層
厳しくなりただ苦痛なだけ。唯一助
かった事は眠気がどこかへ飛んでし
まった事だ。朝8時にフォーク・ッ
ストーン着。電車に乗り込むとすぐ
に電車は走り始めた。あっと言う間
にカレーに着いた。イギリス側より
は少しは暖かいが風が強い。ボケー
ッとしてゆっくり走る。午後3時に
自宅に到着。生きていた事に生きて
いる実感、いきなり現実に引き戻さ
れ この夢の様な数日間
全てを吹き飛ばす様な内容のFAX
が届いていた。
明後日にエルム禿オヤジが悪夢街に
やって来る、という知らせであった。
風呂に湯を張り数時間湯船の中で気
絶した。
 <本日の走行>1050km

 あとがき、ノーガキ
 いつも走れる時には、もう嫌だと
いうくらいに走り貯めをするがしば
らくするとまた走りたくなる。中毒
なんだから仕方がないけれど、数年
前からとにかく怖さが先に立って走
り始めるまで時間がかかる。それに
このマン島で自分が寂しい事にも気
が付いた。昔みたいにみんなと走り
たいと思う。温泉にも入りたい。日
常は常に孤独を感じてしたけれどバ
イクに乗ると孤独は忘れた。でも今
回は西風で走っていても孤独を感じ
た。少し精神的ピンチ。呼ばわりさ
れなくても正真正銘の神経症になり
そう。雲古太郎こと〇〇〇〇の事と
か嫌な事は色々あるけどジジイにな
っても生きている限りバイクには乗
っていたいと思う。ずっと現役のバ
イク乗りでいたいと思う。
 それと日本を外から見ると特にバ
イクとか四輪に関する環境とか文化
がつくづく幼稚なのでなんとかなら
ないかと思う。自分がジジイになる
までには少しは変わってくれるよう
に自分で何が出来るか考えて出来る
限りの事はしてみたい。
 
 ヘッ、ヘッ、ヘッ
 次は何処へ行こうかなぁ?
 まったくいくつになっても懲りな
いおいら。おかあちゃん、堪忍な!!

寒い、寂しい、怖い
マン島TTツーリングだよーON!!


<添付写真解説>*(番号は写真裏面に記しています)
 1.往路ユーロ・トンネル内
 2から4.TTコース、グース・ネック付近(2.は唯一の自撮自画像)
 5から12.TTコース前半
 13.14.メイ・ヒル・コーナー
 15.マウンテン・コーナー初め
 16から21.マウンテン・コース
 22から25.お気に入りの12.5マイル付近。下ってきて直前で2速くらい落と
  して民家をかすめて左に曲がる。速度とスリルがなんとも言えない。
 26.27.マン島文化遺跡保存地区
 28.29.30. マン島文化遺跡保存地区近くの売り家。誰か買いませんか?
 31.32. マン島最北端環境保護区域

<期間>'97年3月27日〜4月4日
<総走行距離>2808km
<総費用>  約123000円
 燃料代  :約 24000円
 トンネル代:約 14000円
 フェリー代:約 22000円
 宿代   :約 33000円
 食費   :約 20000円
 その他  :約 10000円
<平均燃費>15.2km/l
<相棒>  :川崎西風750、ド・ノーマル但し森脇ヨーロッパ・チューン


     


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