英蟯虫:2003:(最初で最後の)アメリカ縦断(その実テキサス横断)
 
【目次】

ミルウォーキー
今回入手した本
HD本社訪問
ミルウォーキーからシカゴへ
夜逃げババアのブルース
アメリカ縦断:第一日目
         第二日目
                     第三日目(最終日)

 
■Milwaukee:ミルウォーキー■

 
この街を一言で表わすと”陰鬱”と言えよう。
 宿から見える長距離バス・ターミナルも裏手の鉄道駅も
旅立ちのワクワクした気分が感じられない。
 どことなく逃避行者達が人知れず夜逃げするようなそんなネガティブな
理由による旅の動機がプンプンしている。
 空の色も建物も色も灰色でそれにおまけにミシガン湖からやってくる
霧りで全てがモヤモヤしている。
 空も地面も地面も全部灰色一色・・・嗚呼!




 2000年のP氏との事前偵察を含めると今回のミルウォーキーは3回目である。
 はっきり言ってこの街は我々にとっては敵地なのである。
 今回は敵地に乗り込んでの興行であった。
サッポロ・ミュンヘン・ミルウォーキーと言えば代表的なビールの3都であり、小さなビール醸造所がゴロゴロしている。
ドイツ人の街ではあるが、一言で言うと、憂鬱で退屈な街である。

 しかしこの街の水は美味い!

 「食堂で出される氷の入った水でさえ無茶苦茶美味い!」のである。

 人間だけでなく陸上動物全般の集落の形成が先ず水源地から始まることを
再認識したわけである。水が美味いとビールも美味い。そして料理も美味い筈なのだが・・・。

 まぁアイリッシュ・パブを皮切りにしてビール醸造所直営食堂等を梯子したわけなのであるが・・・。

 (パブはWater通りを北上したところにかたまっている)

 この街の疑問。
 アメリカのどの都市にもある国民食堂とも言えるファースト・フーズの店が見当たらないのである。
 地元民に聞いても誰もまともな答えが返ってこなかった。
 (市の条例で出店が禁止されているのか?それとも店舗になりそうな場所や建物を貸さないのか?売らないのか?)

 ダウンタウンから一番近いファースト・フーズの店は9th St.とNorth Aveの角にあった。
 このNorth Ave.を9th St.から東に向かうと途中でゴースト・タウンと化したブロックがあった。
 少し南のWisconsin Aveと街並自体が全然違うのだ。
 
 【以下省略】

日曜日:

最初の偵察の時には工事中であった美術館が完成していた。
この美術館は建築に興味がある人とっては面白い建造物だと思う。
建物全体が船を模しているようで、それに鯨の尻尾みないなものがついている。
(鯨ではないかもしれないがそう見える。)

Milwaukee Art Museum
       ↓

http://www.milwaukeeartmuseum.com/

さて肝心の収蔵品なのだが・・・
やたらと多いコンテポラリー作品・・・中には「これは!」といのもあったが大半が「ムムムム」という
                      感じでワケわかめちゃん。
古典的油絵・・・ルノワール等の小品もあるが・・・
ドイツ人の金持ちの私財・・・半分は一族の肖像画、半分はドイツの古都の風景画・・・・

★思い切り気合いの入った入れ物(建物)に比べて中身はスカスカ!と言った感じ。
 まぁ新しい美術館なので仕方がないが、それにしても「なんだかなぁ?」という感じ。
 金持ちの私財の展示はつくづく難しいと思った。

 

事前偵察を兼ねて”七草”という和食の店に潜入。
トンカツとキツネうどんとご飯を注文。

ビールはBeerリストの中に
"Hitachino Nest Beer"というのがあったのでその中の” White Ale”
の大瓶を一本頼んだ。
製造元は茨城県那珂郡にあることが判明した。
木内酒造合資会社:茨城県那珂郡
http://www.kodawari.cc

★味は例の”銀河高原”ビール系の味。
 普通に飲んで”美味しい”と思ってもらえる味ではない。
 他の小さなビール醸造所のものにも言えるが
 拘りや思い込みを捨ててどうして”ビール単独”で
 飲めるような味のものを作れないのか?ということだ。
 凝って作り込めば作り込むほどこの手のビールは
 みな同じ味になる。
 つまり、何か他の料理と一緒でなければ飲めない!という代物。
 そしてこのWhite Aleは和食には全然マッチしないという宿命的な
 欠陥を持っていた。ステーキやせいぜい鳥の唐揚げくらならまだしも
 寿司やその他の和食には合わない。
 ビールは先ずビール単体で飲んで美味いものでないとならない。
 普通のヘレスやピルツで勝負する小さな醸造所に出会えれば
 嬉しいのだが。


火曜日:

 ドイツ料理屋に行った。世界中のビールがあったが迷わず
 生のヴァイッツエン・ドゥンケルをチョイス。
 ビールは美味かったが食事はみんなに不評だった。
 期待していたソーセージがメニューに無かったこともあるが
 肝心なウインナー・シュニッツエルが大ゴケしていたので
 後の料理も推して計るべしである。
 うどん屋でキツネうどんが不味い!というのと同じ状態だ。
 しかしこんな店に著名人が沢山来店しその時の写真と署名が
 大袈裟な額に入れられて飾られている。
 著名人はその舌の馬鹿さ加減を公表されているのと同じなのだが。

 店の名前は敢えて記さない。


水曜日:

 夕食を近場で安直に済ませよう!と言う抵抗勢力を押し切りイタリアンにした。

(それがね「奥さん!聞いてよ!」という感じで大成功!)

 「久々に美味しいものを食べた!」
  「今日まで生きていて良かった!  」


  と言うのが正直な感想であった。

 店の名前は”Buca di Beppo”と言う。

 イタリアの家庭料理を再現しているので一つの注文で4-5名分の料理が一つの皿に乗って出てくる。
 この店には4名くらいでいくのがベストだと思う。

 他の都市に本店がありまた支店もあるようなので機会があれば再度行ってみたいと思う。
 
  
  アラスカ出身のピーターと言う給仕もすごく丁寧・親切で久々にまともな人間に出会った!という感じであった。

Buca di Beppo 
http://www.bucadibeppo.com/


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 ■今回入手した本■

 
初日の移動の飛行機の中で読んでいた本は、次の3冊だけであった。
今回は何故か荷物を極力少なくすることに拘った。
 ・ロンサム・カウボーイ:片岡義男
 ・サハリンへの旅:李恢成(り・かいせい)
 ・雨天炎天:村上春樹

 旅を渇望しているのでやはり旅が中心の本ばかりのチョイスになる。
旅関係で好きな本は村上春樹の「遠い太鼓」であるが前回また精読したので
今回はその続編とも言える「雨天炎天」にした。
 「遠い太鼓」を読むとギリシャへ行きたくなってくる。


 旅に携行する本を一冊に絞れ!と言われたら開口健の「輝ける闇」か「夏の闇」になると思う。
そしてかなり難しい選択ではあるが最終的には「夏の闇」を選ぶ。


 さてシカゴで予定どうり本の仕入れを行うことにした。
今回のターゲットは片岡義男の絶版本。
 大半のものは20年近く前に読んでいるが数回の引っ越しの際に消えていった。
数冊は手元に残っているが足りない分を今回仕入れた。


Z:梁石日(ヤン・ソギル) 幻冬舎文庫

ときには星の下で眠る:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本
 
俺のハートがNOと言う:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

幸せは白いTシャツ:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

スローなブギにしてくれ:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

最終夜行寝台:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

町からはじめて、旅へ:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

友よ、また逢おう:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

一日じゅう空を見ていた:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

スターダスト・ハイウエイ:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

and I Love Her:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

湾岸道路:片岡義男:角川文庫:赤背表紙絶版本

さっきまで優しかった人:片岡義男:新潮文庫

約束の土地:李恢成:講談社

 

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■HD本社訪問■
 
 時間が作れるがどうか不明であったが事前にHDの本社の所在地を調べるために地元民へのヒアリングを繰り返していた。
しかし誰も知らなかった。
中にはHD自体を知らない連中も居た。
 
 ショーの最終日の後片付けが終わってから敵対する地元の会社の親分にHD本社の場所を聞いてみた。
すると丁寧に地図を描いてくれた。
 そして本社に隣接した工場でははエンジンを組み立てており最終の車体組立は
York(Pennsylvania州)とSt. Luis(Missouri州)にある別の工場で行われている!ということも教えてもらった。
で実際HDの本社&工場はMilwaukeeではなくWauwatosaという街のCapital通りにあることも判明したのである。
 
 我々が期待したようなHDの博物館の様なものはまだ無いが、工場見学が出来るとのことであった。

*親分の描いた地図*
 (南北が逆転しているがこれも彼の視線を表現しているのではないか?とまた新しい見方が出来た)



翌朝朝9時には宿を出てHD本社に出向いた。

*HD本社*

 

IDカードに必要事項を記入すると”ツアー参加者”のステッカーをもらい
上半身の適当なところに貼り付ける。

ただカメラ等の持ち込みは禁止なので車の中に置いてこないとならなかった。
早起きは三文の徳!とはよく言ったもので丁度9時30分から開始される
工場見学ツアーのグループに合流することが出来た。
先ず小ホールに全員が集められ、担当者による会社説明や工場説明、そして現社長等のメッセージ画像を見せられ
それから工場見学のルールの説明を受けた。
大体8-9名の小グループに分けられ夫々に退社し嘱託みたいな爺さんの説明員が付いた。
一人一人に安全メガネとヘッドフォン形式のレシーバーが配られた。
工場に入る直前に事前に記入したIDカードが回収され、またIDを見せ最終の身元確認がされ、
そして空港にあるような金属探知機を通ってからいよいよ工場内に入る。
オイルと言うか切削油の匂いがする。
マシニングにはHitachi Seiki製やOkuma製、そしてその他の日系メーカーのモノも使われていた。
 (詳細は省く)
壁に貼られた勤務表を見ると
 第一シフト約40名
 第二シフト8名
 第三シフト8名
 の計60名くらいでエンジンの部品加工ならびに組立てを行っていることが想像出来た。
オバちゃんも結構働いていた。
 部品加工の現場は見せてもらえたが肝心のエンジン組立ラインは見せてもらえなかった。
つまり触りの部分だけを公開してお茶を濁しているような感じである。
 
 まぁそんな感じの工場見学であったが大半の見学者はHDフリークのため満足していた。

*2003 Buell Firebolt XB9R *
 (丁度「Mr.Bike」の5月号に佐藤信哉のLightning XB9S試乗記が載っていた)


*V-Rod*



ところで、アメリカ縦断記、楽しみながら拝見しました。
こんな事言ったら失礼かもしれませんが、、、感じたまま言わせてもらいますね。
(くれぐれも怒らないでね!!
 、、、、、けど気分を害されたらその旨言って下さい、本当にすみません
 
ハーレーが自信を持って発表したV-Rodも、、、、、、
       英蟯虫が跨れば本田250MAGNAにしか見えない!!


はははははあははあ・・・
  正にそのとうりですなぁ。

  気分など害するわけなどありません。

悪口と感想とはまた別のものだと思っています。
最近の偏狭(偏狂)人が増えた極東の辺境の島国ではこのあたりの違いが
理解出来ない人が増えているようです。

例え、本人が第三者のある種の発言を受けて気分を害したとしても
それが第三者の感想であれば別に咎めるべきものではないと思います。
(あからさまな陰口、非難中傷であれば別ですが、「ワシはこう思う!」というのはただ印象や
感想を述べているだけの話だと思います)

 


*本社受付から工場内を望む*


*HD本社のトイレ*


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■ミルウォーキーからシカゴへ

HD本社を発つ前に事前に仕入れたマドンナのアメリカン・ライフ(CD)を挿入し
最近よく売れているという音楽を聴いた。

 抽象的な表現が多かったことそして例のリズム・マシーン特有の演奏に辟易しながらも
99年のウタダ病の時のように繰り返し聴く事にした。
 
 一曲だけ知った曲があったがそれは10曲目のダイ・アナザー・デイであった。
 (映画”007”の最新作で冒頭にかかっていた曲だ)
マドンナ:アメリカン・ライフ


曲目リスト
1.アメリカン・ライフ
2.ハリウッド
3.アイム・ソー・ステューピッド
4.ラヴ・プロフュージョン
5.ノーバディー・ノウズ・ミー
6.ナッシング・フェイルズ
7.インターヴェンション
8.プロセス
9.マザー・アンド・ファーザー
10.ダイ・アナザー・デイ
11.イージー・ライド
 

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■夜逃げババアのブルース■
 
  今回の一件は本当に人間不信に陥った。
自分達の人間関係の築き方に対する深刻な疑問を持つことにもなった。


  ババアが突然組織を無茶苦茶にして夜逃げしたのである!


 かって牛さんに面と向かって
「職業(仕事)に貴賎はないの!」と言われた。
以来そう思って生きている。
駄菓子菓子本音の部分では自分では絶対に手を染めたくない職業(仕事)というのが存在する。
 
子供の頃に接した最低の大人と言うとやはり学校の先生であった。
中には尊敬できるいい大人としての先生もいたが98%くらいの
先生連中は大人として人間として社会人として屑であった。
子供心に「こいつらみたいな大人には絶対になりたくない!」と思って育ってきた。
勿論刺激を受けたり生き方のヒントを与えてくれた先生に出会うことも出来たのも
事実であるので、先生全員がカスで屑と言うつもりはない。
ただまともな先生は全体の2%しか居なかったということである。
 
さて今回夜逃げしたババアの話である。
 
ババアは地方の4年生大学を卒業後東京都の中学校で英語の先生をしていたらしい。
 (年代から言ってデモしか先生が大流行した頃の話である)
その後アメリカに渡り中西部の大学に進学しMBAを取得したらしい。
その後は日系の銀行を数行渡り歩いたらしい。
 
 日本の銀行員という輩も大嫌いである。
理由を書き始めると終わらないのでここでは割愛する。
 
 夜逃げしたババアは先生&銀行員という(私から見たら)最低・最悪の職業を経て
今回一緒に働くことになった。

 しかしそんな経歴は詐称か?というくらい基本的業務が出来ていなかった。
そして今回の夜逃げである。
 
 毎日毎日この夜逃げババアの悪行が表面に出てくる。
 
 今まで色々な人と一緒に働いたが今回のババアは最低・最悪であった。
 この夜逃げババアのせいでシカゴでの滞在が一日延び、出発がその分遅れた。
 
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シカゴでの最後の晩餐はある人にお付き合いいただきブラジル料理をチョイスしてもらった。

 店の名前は"Sal & Carvao"
 http://www.salecarvao.com
といい3連休の初日であったため大量の客で店は大繁盛だった。
我々は直前まで仕事をしていたため予約も無く飛び込んだわけだが
1時間限定なら席を用意する!というので強引に座り込んだ。

サラダ・バーで新鮮なサラダを食べ、珍しいブラジル産のビールを飲み、
そして死ぬほど肉を食べた。

もう少し話したいことがあったのでその店のバーに行った。
お腹が一杯であったのでその店特製のカクテル"the Caipirinha"を注文した。
"the Caipirinha"


ライムが大量に入っていて酸っぱいがそれを上回る甘さ・・・これは何処かで飲んだ味だ!
酸っぱさと甘さに隠れた強烈なアルコールの強さ・・・。
かってメキシコの温泉街にあるブラジル料理で接待した時のことを思い出した。
空きっ腹で晩餐を始め、ビールをしこたま飲み、また肉をたらふく食べてから
ワインを注文したが「無い!」と言うので「何でもいいからブラジルの酒を!」と注文したのが
こんな感じのカクテルであった。
口当たりが良く3杯くらい飲んでから宿に帰った。
宿のロビーでソファーに座ったが天井が3つに分裂しそれらがグルグルと回り始めたのであった。
あんなに視覚情報が万華鏡の様にグルグル回る酔い方は初めてだった。
あの夜はそのまま寝るわけにも行かずそれからタクシーを拾って空港まで若社長を迎えに行った。
温泉街の空港に着いても天井がグルグル回っていた。

翌日からの旅のこともあるのでほどほどにして宿に帰った。

今手元にあるこのカクテルのパンフレットを見ているが・・・
成分は新鮮なライム、砂糖そしてCachacaとある。
Cachaca・・・これはなんと読むのだろうか?(ポルトガル語の独特の読み方は難しい)
とにかくこいつはブラジルの有名な焼酎(ビンガ)であろう?という察しはついていた。

ネットで検索すると一発で答えが出た。
カシャーサと読み、やはりビンガであった。

 

【引用】
なんせ、ブラジルの酒と言えばピンガ(またの名をカシャーサ:サトウキビ原料のスピリッツ)、
ピンガといえばブラジル(くどくてスミマセン)と言うくらい、しっかりと定着したイメージがあるので、無理もありません。

参照サイト http://www.brazil.ne.jp/newsinjapan/022.html

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(最初で最後の)アメリカ縦断(その実テキサス横断)

日曜日:第一日目

 
 ようやく出発することにした。
シカゴを抜けI-57をひたすら南下する。

休憩は約2時間毎。給油後一回目の休憩はお叱呼&珈琲、二回目の休憩は給油、お叱呼&珈琲。
1タンクで約270-280mile走る。
計算では一日2タンク分(550マイル)走ることになる。
つまり毎日毎日8時間ずつきっちり走れば3日間で完了するという計算。
だがひたすら眠い。
珈琲を飲みすぎると膀胱が破裂しそうになるし飲まないとそのまま永眠しそうになるし
かなりつらかった。

途中でマドンナのアメリカンライフを捨てて、サザンのバラッド3に変更した。
このCDはシカゴを出る直前に入手した。
以後桑田圭祐が180曲くらい続けて歌ってくれることになった。


■バラッド3・サザンオールスターズ■

 
途中でマドンナのアメリカンライフを捨てて、サザンのバラッド3に変更した。
 
 
バラッド3
サザンオールスターズ
 
曲目リスト
ディスク: 1

1.真夏の果実
2.女神達への情歌~報道されないY型(ケイ)の彼方へ
3.さよならベイビー
4.逢いたくなった時に君はここにいない
5.希望の轍
6.忘れられた BIG WAVE
7.せつない胸に風が吹いてた
8.涙のキッス
9.OH,GIRL~悲しい胸のスクリーン
10.素敵なバーディー~No No Birdy
11.冷たい夏
12.HAIR
13.慕情
14.クリスマス・ラブ~涙のあとには白い雪が降る

ディスク: 2
1.愛の言霊(ことだま)~Spiritual Message
2.BLUE HEAVEN
3.あなただけを~Summer Heartbreak
4.MOON LIGHT LOVER
5.愛無き愛児(まなご)~Before The Storm
6.心を込めて花束を
7.唐人物語(ラシャメンのうた)
8.SAUDADE~真冬の蜃気楼
9.湘南SEPTEMBER
10.TSUNAMI
11.夏の日のドラマ
12.LOVE AFFAIR~秘密のデート
13.SEA SIDE WOMAN BLUES
14.素敵な夢を叶えましょう



イリノイ州を縦断しMissouri州に入ったところでI-55に合流。
州境で生まれて初めてMississippi川を見る。

*Mississippi川を渡ってMissouri州へ*


*I-57を南下*


黒人を満載したミニ・バンを追いながらI-57をひたすら南下。
途中でArkansas州に入る。
目的地のMemphisに行くためにまたミシシッピ川を渡り
Tennessee州へ。

*橋を渡ればTennessee州*


目的地のビール通りは歩行者天国化されており車での進入は拒まれた。
また3連休の中日でもあり街には観光客と警察が溢れていた。
なんとかビール通りに一番近い宿に投宿し黄昏のメンフィスのビール通りでの
徘徊を開始することが出来た。

 ”King's Palace Cafe”と言うカフェに入りフェでビールを飲み、南部独特のスープ料理ガンボ
を食べ、そして海鮮類パスタを食べた。
ビールをもっと飲みたかったがお腹が一杯であったためそのカフェのオリジナル・カクテル”Beale St. Blues”を頼んだ。
 口当たりの良いカクテルであったがウオッカやその他の酒が混ざった強烈なカクテルで
酩酊してくるのがわかった。
 [本日の走行:558mile;898km]

*メンフィス・ビール通り。右手はBB King'sの店*



*メンフィス・ビール通りにあるハード・ロック・カフェ*


*怪しいカクテル”Beale St. Blues”(右)*


*ミシシッピ川の黄昏*


 
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月曜日:第二日目
 
 またミシシッピ川を渡りArkansas州へ。
この州はカタカナではアーカンサー州と表記されるがそのまま読んでも
なかなか通じない。いまだに正確にこの州の名前を発音できないでいる。
I-40をひたすら南西方面へLittle Rockを抜けここからI-30になる。
途中でセクハラ前大統領の生まれた街Hopeを通過する。
3連休の最終日ということもあり、パパ&ママの運転するミニバンやトラックが
高速道路のモラルやルールをぼろぼろに破壊する。
連中は高速道路の走行方法について習熟していない。
”遅い車は右側の車線を走れ!”と警告が出ていても連中は無視している。
連中は字が読めないのか?読めても意味が理解できないのか?
それとも”自分たちは遅い車ではない!”と勘違いしているのかの
いずれかであろう。
まぁ車社会のパパ&ママたちでも高速道路の運転技能と言えばこの程度なので
他の国の運転技能はもっと劣って当然だと思う。
この手の連中は海南-湯浅道路を初め日本中いたるところに存在する。

昔初めて北海道に渡った時のことを想い出した。
日本一縦に長い県、新潟県を北上していた。
走っても走ってもまだまだ新潟県であった。
県境を抜けると目的地の秋田県だと思い込んで走り続けていたが、
その実、新潟県の北隣の県は山形県であった。
まだ親不知を越えるのに死ぬ思いをしていた頃の話だ。
朦朧とした頭で勝手に描いた地図には山形県の存在が欠落していた。
長い長い新潟県は150kmくらいか?と思っていたが
国道8号線と7号線で計算してみると307kmもあった。
愕然とした思いで山形県に入ったが今でも象潟(きさかた)の風景は憶えている。
鳥海山を通り過ぎて右手は山、左手は日本海という国道7号線を北上していると
象潟あたりで波を被りそうなくらい海の近くを走る。
あんな楽しい国道は他にああまり無い。
国道42号線の白浜-串本間、北海道の黄金街道と同じくらい好きな道である。
このアンカーサー州を走りながら新潟県や山形県を走り抜けていた頃のことを想い出していた。
州境を越えてTexarkanaへ。地元テキサス州の最東北部の街からテキサス州の横断が始まる。
午前11時30分に走行を開始し午後3時30分にはアンカーサー州を走り抜けていた。
途中で30分の昼食休憩を取ったので実質3時間30分でこの州を走り抜けたことになる。

New Bostonの少し先で州間高速I-30を下り、州高速82号線を走り
念願のParis,Texasへ。

            「逸脱を肯定する輩」と唱えて下道を120マイル走る。

*Paris,Texas*


*Paris,Texasから州道24号線&19線を南西部へ*
 (しばらく長距離ライダー(VFR800,ZX12R)を見ながら走る。)


テキサス州のパリに1時間程度滞在し
後は州高速19号&24号を南下し再度I-30へ合流。Dallas,Fort Worthを抜けてひたすら西へ。
Fort WorthからはI-20になる。
前回Amarilloにも行ったし、今回はParisに行けたのでもうテキサスに思い残すことはなくなった。

      「旅の途中で終わる旅もある。」      

  こうして今回の旅も終わった!

途中で夕食の機会を逃し、それでもひたすら空腹のまま西に走り続けた。

*陽が沈む、「腹が減った」*
 (煩悩と葛藤と飢えと眠気が交錯する魔の時刻)



このまま徹夜で走り切ろうかどうしようか悩んだが次の大きな街であるAblineで泊まることにした。
完全に日が暮れてからガスを補給しそこでサンドイッチを食べた。

場所はI-20沿いにあるSantoという街であった。
闇の中を走ったがなかなかペース良く、この区間は68.8mile/hourのタイムが出た。
Ablineを抜ける少し前の街の一番西端のモーテルに投宿。
ビールを買うため最寄のガス・ステーションの場所を聞いた。
「東に3マイル、西にも3マイル走ったところにある」という答え。
西に3マイル走ったところのガス・ステーションにはビールが売っていなかった。
そしてまた東に6マイル戻りガス・ステーションに向かったが店じまいの最中であった。
店の中から魔女みたいなおばあさんが”しっし”と手振りで「帰れ!」と合図をした。
時計を見ると午後11時20分。
また西に3マイル走らせて宿に戻ってから寝た。
空腹でかつビールも飲まずに寝たのは久しぶりのことであった。

メンフィスということで出発直前にタワーレコードでエルビスのCDを手に入れて
2回くらい聴いたが途中で捨てた。
懐かしいメロディーではあるが歌詞が!歌が!メロディーが!体に沁み込んでこなかった。
そして昔小松駅前のミスド(ミスタードーナツ)でアメリカン・珈琲と甘いだけのドーナツを
食べていた頃のことを想い出していた。珈琲の匂いと甘い匂い、そしてエルビスの様な
あの手の50年代の曲がかかっていた。
あんなドーナツで飢えをしのぐほど我々は食うに困っていたのだ。

 
 [本日の走行:672mile;1081km]





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火曜日:第三日目:最終日

 平日ともなるとプロの運転手か旅人、それにワケありの遊び人の車くらいしか
高速道路を走っていないので秩序は保たれている。
 
 [本日の走行:438mile;705km]

その他データ:
 総走行距離:1668mile:2684km
  ガソリン代合計:US$91.89 (10843円:換算レート118円/US$)
 平均燃費25.54mile/galon(10.86km/liter)
 平均距離当り費用:0.05509US$/mile, 6.5円/mile,  4.04円/km
 平均燃料費43.86円/liter

  2日目のナイト・ステージで区間ベスト68.8mile/hourが出たが三日目はそれらを凌ぐ
  データが出た。
   それぞれ82.81mile/hour, 83.2mile/hour,73.23/hourである。
  
 その他換算データ:3.785 Liter/Galon
                          1.609 Km/Mile
 
 
 全くの偶然ではあるがシカゴ(イリノイ州)からテキサス州境までの距離と
テキサス州の最東北部の街から最西部の街までの距離が同じであった。
  その距離は834mile(1342km)
これは青森から大阪を通り抜けて尾道までの距離と同じくらいである。
  (青森ー大阪までは日本海側を走った場合)
青森から東京を経由して大阪を抜けるルートの場合は大体で青森から岡山までの距離と同じくらいである。
東京からだと大阪経由で鹿児島の手前のえびの市くらいまでの距離と同じである。
これが大体のテキサス州の東西の長さである。
 注)日本国内の距離計算は1997年発行のマップル全日本道路地図:1/250,000(昭文社)による。

*I-20をひたすら西へ*


*I-10最後の走り*


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【後書き】

いくつか考えられるルートの中でこのルートにした理由は:
まぁ適当なところがだ何かモニュメント的なものよりある街に滞在したかった。
 だからメンフィスを選んだ。
 カントリーの聖地ナッシュビルを選らばずにメンフィス選んだ理由は・・・
 カントリー・ソングはいまだに身に沁みて来ず、ブルースはその逆というのがある。
これは抑圧者・征服者側の音楽と被抑圧者・被征服者側の音楽という対比でもある。


 時間に余裕があればテネシー州からそのまま南下してミシシッピ州とルイジアナ州を通ってから
テキサスに入りたかった。





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