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英蟯虫:2001:


Date 2001/2/19.

少しねじを巻いてきました。




  

■少しねじを巻いてきました。■
 
団長様:
 
 まぁ最近、色々とあって・・・
 少しねじを巻くためにアマリロに行って来ました。
  (「ねじを?、切れてるんじゃないのかい?」)
 20年前、アメリカのほかの都市名は知らなくてもテキサスのアマリロというのはよく知っていました。
 まぁ今はそんなことはありませんが、当時は”聖地”みたいなところでした。
 
 先週は二日続けて○○から支離滅裂な電話があり、それでかなり嫌ーな気分になっていたのですが
 連休(今日月曜日が休みなので3連休です)に突入する直前に”尿瓶”から電話がありました。
 どうして私の周りの人間ってどうしてこうニュース番組に出ている”久米宏”みたいに”捨て台詞”を
 必殺技とする人が多いのでしょうか?言った方はすっきりするでしょうが、言われた方はたまりません。
 そして大半はその元々の原因がその”捨て台詞”を吐いた本人の側にあるのですが、でも本人は
 そんなことなど露も知りません。
 
 金曜日の夜に早めに寝てグッスリと眠れたのですが、まだまだ”尿瓶”の”捨て台詞”が体に残っています。
 昼前にようやく体が動くようになったのでコーヒーをいれて天気予報を見るためにテレビをつけました。
 すると昨年からこちらで探しているビデオ”ハーレーダビットソン&マルボロ・マン”がやっているではないですか。
 ハーレー(ミッキーローク)とマルボロマン(ドン・ジョンソン)が出てくる単純な娯楽映画です。
 ずっと久々に観たいと思っていましたが、粗筋はほとんど忘れていました。
 一連のアクションが終わり、マルボロマンはロデオ大会に出場しハーレーはチョッパーに乗って去ります。
 舗装路に出たところで金髪の白人女がヒッチ・ハイクしていて、当然その金髪白人女は
 そのチョッパーにタンデムして立ち去る、というのがエンディングです。
 思わず「カッチョーエエやんけ」と叫んでいました。反面、”尿瓶”はダサイです。超ダサ・ダサです。
 
 洗濯場に放置してあった洗濯物を回収に行き、なんとかダラダラと荷造りをしました。
 この時もまだ迷っていました。何か理由をつけてこの計画を中止してベッドで本を読んで寝たきりになって
 いるほうがいいのでは?否、今回行かないと一生行くことはない、旅立てジャック!という相反する
 声が聞こえてきます。
 
 まぁある種の予兆はありました。
 それでレンタカーを借りるのかどうするのか迷っていました。
 もしクラッシュに巻き込まれたとしても・・・それはそれでいいけれど・・・後で面倒なことになるでしょう?
 【削除】  
 勿論自分のバイクであれば一人で何処へでも旅立ちますが、一人で車で遠くへ行くというのはあまり
 楽しくありません。それは過去のことから車って比較的簡単にお釈迦になるという体験からです。
 バイクは走り出してしまえばあくまでも個人の勝手な行為なので孤独とかそんなものより開放感が勝ってしまい
 あまり気にはなりませんが、車という棺桶の中に一人でいるのはやはり辛いものがあります。
 
#1.水分補給のためのソーダ水を地図帳にたっぷりと飲ませる羽目に。
    遅い朝食兼昼食をKFCで取り、紙容器に氷とレモン・ソーダをなみなみと注ぎKFCを出て、車のドアを開けた瞬間
  地図帳(まだルートも決めていなかったのでKFCで食べながら地図をボンヤリと眺めていました)と
  そのレモン・ソーダを地面にぶちまけてしまいました。
  この時に、「もう家に帰って寝ろ!寝ろ!」と叫ぶ声が聞こえます。
  地図帳はソーダ水を吸い込んで太ってしまいました。
 
まぁ”運試し”ということで旅立ちました。結局街を出たのは午後4時前でした。
 
#2.それは突然起こりました。
  1回目のピットインでガス・チャージをし本線に戻り、そろそろ闇が支配し始めた頃・・・。
  ガンメタのカムリを追走する形でトレーラー軍団をスムースにかわしていました。
  大体がまぁ80〜90mphであの路線ではまぁ飛ばせる方です。
  最後のトレーラーを追い越して走行車線に戻ってしばらくしてから、それは突然起こりました。
  車線は追い越し車線と走行車線の2車線です。
  合流地点でもないのに路肩に止めてあった赤いピック・アップ・トラックがフラフラとそれも急加速して出てきました。
  そのガンメタ・カムリもそれを避けて追い越し車線に当然逃げると思っていたのですが、それも何故かフラフラと
  路肩の方にラインが外れていったかと思うと、お互いのドライバーがそれを認知したのが
  同時であったような感じでした。丁度カムリがトラックにかぶせたような格好になりました。
  あんなに車がクルクルと回るシーンを久々に見ました。
  カムリは向かって右からクルクルと回りながら左手の中央分離のための未舗装の窪地に飛んで行きました。
  トラックはヒットした地点からあまり動かずにクルクルと回っていました。
  アウトバーンの癖でかなり車間距離を取っていたのでまだ余裕がありました。
  ただ、カムリは勝手に飛んでいきましたが、このトラックがどう動いてくるのか?左の路肩に逃げるか、
  右の路肩の方ですり抜けるか?勿論この瞬間は数秒の瞬間です。
  でも結果的には5速から4速に1速落して、走行車線から追い越し車線に車線を変えて丁度
  カムリとトラックの間を抜けました。走行車線はトラックがふさいでいます。
  抜けるときにガラスの粉と砂利みたいなのが降ってきて、バラバラ(ボンネットとフロントガラスにそれらが当たる音)
  とジャリジャリ(それらをタイヤが轢く音)という音がするのと同時に砂煙かタイヤのスモークかわからないところを
  抜けました。左を見ると立て直したカムリがなんとか未舗装の窪地をラリー・カーのように成り行き任せで
  走っています。
  こういうときは立ち止まって処理をしないとならないのでしょうが、携帯電話を持っているわけでもないし、
  ポリスの電話番号も知らないし・・・それにやっぱり面倒なことに関り合いたくないし・・・
  多少の怪我はしていたとしても致死事故ではないし・・・急に止まると後続のトレーラーに跳ね飛ばされるかもしれないし・・・
  関係者全員が白人の場合には何をなすりつけられるかもしれないし・・・・こんな事がグルグルと頭の中をよぎりました。
  自分はエセ人道主義者のアメリカ市民ではなくて利潤追求型日系企業の一出向社員なのだ、と
  言い聞かせました。(少しケースが異なりますが、ヒッチハイカーを乗せるのも故障車のために立ち止まるのも
  個人のリスクです。)
  まぁジャギュアを運転しトップ走行中のマクラーレンを追走中にピット・ロードからフラフラと出てきた間抜けな
  プロスト車(それも既に周回遅れ)とそのマクラーレンが目の前でクラッシュしたような感じです。
  この後もしばらく「今なら間に合う、引き返せ、引き返せ、家に帰って寝ろ」ともう一人の自分が叫んでいます。


 
#3.それは突然やって来ました。
  街を離れるにつれヒスパニック系の代わりに黒人の姿が増えてきます。
  車の運転手、ガソリン・スタンドの店員・・・。
  2回目のガス・チャージを行いしばらくしてからしインターステーツを出ることになりました。
  アマリロまではインターステーツがつながっておらず、途中は下道を走らなければなりません。(テキサス・ルートの場合)
  出口から側道に出る際にケツにペタペタについてくる下品な四輪駆動トラックがありました。
  急減速してもオカマをホラレルのはこちらなのでヤバイと思いつつもかなりの速度で右に半円を描きながら
  暗闇の中を下っていきました。地元の下品な四輪駆動車が減速しないのと、まぁ側道に直線的に合流する形で
  そこそこの速度でもそれは楽勝だという判断もありました。
  しかし、予測は見事に裏切られ、(後で知りましたがあの辺りの側道は優先付の対面通行路なのです)
  そこは”T字路”でした。フルブレーキングして左にハンドルを切りました。丁度その側道は窪んでいて
  車体はフルボトムしましたがなんとか曲がりきることが出来ました。
  そんなことより後の下品な四輪駆動のトラックに弾き飛ばされるのを一瞬
  心配しましたが、視線の高い奴は少し前に気がついて早めに減速を始めて少し間隔が開いていたものと
  思います。しかし重いそいつは曲がり切れずに”T”字の上を突っ切り暗闇の中の荒野に飛び込んでいきました。
  しばらくはロデオ・マシンみたいに上下に飛び跳ねていましたが、徐々に速度を落して側道に戻ってきました。
  レーシング・グリーンの我がジャギュアはヨタヨタ・フラフラと側道を走りながらチラチラと右後方のそんな
  情景を断片的に眺めていました。
  やがて"Y字"の分岐で一時停止しこちらは左、奴は右に分かれる際に運転手を見ると
  カウ・ボーイ・ハットを被り口ひげを生やしたジジイでした。ジジイは一瞬だけ”ニタッ”と笑ってボロボロロー
  とその赤くてデカクて下品なダッヂのトラック(ハードトップ付の下品なランクルみたいな四駆です)
  は暗闇の方に去って行きました。
 
  我がレーシング・グリーンのジャギュアことスバル君は:
  車好きの団長様のチョイスであったこと。
  それに過去に数年間の走行実績があったこと。
  軽量コンパクトでマニュアル変速機であること。
  等々から結構ヤバイ場面でもなんとかなると思って普段メキシコ国内とか走っているので
  悲惨なパニック陥ることはあまりありません。
  まぁ、今のところ無事であり過去を回想しているだけなのでこんな余裕をこいていることが出来るのですが。
  その瞬間瞬間は喉から心臓が飛び出るくらいに動揺しています。
 
#4.今度は君かい。
  暗闇の幹線高速を80mphくらいで孤独に北に向かっていました。
  夜でもこうして走っていられるのは昨年から導入したプラスティック・レンズの眼鏡のお陰です。
  夜になるとサッパリ目が見えなくなるので困るのですが、この新兵器のお陰で
  路面の白い破線も標識もクッキリです。
  でも半年振りくらいにその眼鏡を使用したので後で偏頭痛できつかったですが・・・。
  いきなり・・・今度は左の闇から野生のコヨーテが飛び出してきました・・・いきなり走行車線までダッシュして
  きたかと思うと、前方でこちらを見て立ち止まるではないですか・・・。
  目だけが光っています。
  左に急ハンドルを切ってスピンするのも嫌で・・・そこどけ・・・とか一瞬思っていました。
  後足の部分を跳ね飛ばしたかと思いましたが、そいつはギリギリかわして右の闇に消えていきました。
  やれやれ、今度は君かい。
 
 大体の予想どうりノンストップで8時間くらい走ってアマリロの街に到着しました。
 適当なモーテル(モーテル"6")に投宿し、部屋に荷物を入れて晩飯と思って外に出ると
 隣にあったベニガンズは丁度ネオンを消灯しました。
 時差の関係で現地は午前1時だったのでした。
 全てを諦めて、チョコレートとコーラを買って、氷を部屋に持ち帰り、持参したジャック君を
 飲みました。久々に湯船に湯を張りしばらく呆けていました。
 テレビではダイ・ハードをやっていたのでそれを観てから寝ました。
 
 翌朝、日曜日、起きてみると両脇の部屋は黒人の室内清掃係が部屋を掃除しています。
 満杯だった駐車場も残っているのは我がジャギュアくらいしかありません。
 チェック・アウトして先ずは”キャデラック・ランチ”を撮りに行きました。
 コーヒーを飲んでいる余裕もありません。
 それは空っ風が吹きすさぶ原野に昔のキャデラックが突き刺さっているだけです。
 それもかなり冷たい風で一瞬に体中が冷え切ってしまいました。
 
 正午を過ぎたのでアマリロに2軒ある日本食堂の1軒に向かいました。

 どうせ久々に外食するなら美味しいものを食べてやろうと思っていました。
 ターゲットはウナ丼と勿論キツネウドンです。
 ”鉄板焼きと寿司”という触れ込みだったので期待していたのですが、料理も店内の装飾も
 全て日本風というだけでインチキの塊でした。(これはまた詳細別途です)
 鉄板焼きか定食(もしくは寿司)しか選択肢はなく、定食も天ぷらしかありません。
 仕方がないので天ぷらを頼むと、それは悲惨なものでした。
 白人のネェちゃんに”箸をくれ”と頼むと、ランチ・タイムで忙しいのが原因か、それとも彼女の資質自体に
 問題があるのか判別つきませんが、ある種の人種差別を感じました。
 団長様がかって言っていたように最近ある種の人種差別を感じます。
 普段はこの街やメキシコ側での生活なのであまり人種差別など感じませんが、
 飛行機に乗ったり、他の街に行くとそういう差別を感じます。
 こちらのことを個人的に嫌いかどうかお互いに初対面ではそんなことは
 わからないのでやはりそれは人種差別であろうと思います。
 そんなインチキ極まりない定食を食べ続けながらその姉ちゃんに合計三回も
 ”箸くれ”と頼みました。丁度食べ終わる頃にその姉ちゃんは箸を持ってきました。
 
 エセ人道主義者でエセ平和主義者の白人アメリカ人の働くインチキ日本食堂を出て、その近くの道路の
 写真を撮っていました。
 気が付くと高校か大学生か判断のつかない白人のガキがまとわりついてきました。
 ダボダボのシャツとズボンを履いて、足元はほとんど実用的でない履物を履いて
 頭には野球帽が斜めに被せてあります。NYCあたりであのリズムもメロディも無い単調な
 念仏みたいな黒人音楽に合わせて踊っている黒人みたいな格好です。
 顔だけはニコニコ笑っています。
 そしてそいつは独り言のように言います。
 「にっこり、笑って、走ってくる車をバックにしてりゃいいだろう?」
 一瞬なんじゃこいつは?と思いましたが、すぐに気が付きました。しばらくは写真を撮るつもりで
 後ずさりしましたが、言葉がわからないフリをして背を向けて歩き始めました。
振り返ってみるとその兄ちゃんはまだニコニコ笑ってポースを撮っています。
車に乗ったままのその兄ちゃんの親父だか兄貴だがニコニコ笑っています。
次に振り返った時にはその兄ちゃんは自分の独り善がりだったことを悟って複雑な表情のまま笑って突っ立っていました。
 
言葉がわからないフリが出来るというのは便利です。
悪いけれど自分が撮りたいのはお前みたいな阿呆面のガキじゃないんだヨ。
自分から写真を撮ってくれ、と言い寄ってくる奴に限って撮りたい型の人間ではありません。
デジカメでパシャッと撮ってお茶を濁してもいいのですが、またその写真を送ってとか
そんなことを考えると面倒になって止めました。一瞬の判断ですが、まぁそんなもんです。
椎名誠ならこんな時にしばらく立ち話しながら笑顔の写真を撮るのでしょうけども。
 
アマリロは平原の中にからっ風が吹きすさび、その風に乗って牛馬の糞尿の匂いが漂ってくる
そんな街でした。車の窓を一瞬でも開けるとしばらくその匂いがとれません。
郊外には新しい全米チェーンの大型商業中心が発展し、他のアメリカンの街と同様に地方都市の平準化が
進んでいます。





 
次にダウンタウンに向かいました。人気のない日曜日のダウンタウンを車で流しました。
あまり絵になる情景はありませんでした。


 
子供の時のような大英博物館的収集癖などもう霧散してしまったので”ルート66”走破などということは
興味などありませんが、そのルートの断片が残っているというので”絵”を求めてしばらく車を走らせていました。
 
#5.ついに危惧していたことが・・・。
 表通りから一瞬垣間見た裏路地に惹かれて引き返しました。
 そしてそんな路地には”絵”になりそうな自分好みの家がありました。
 車を止めて・・・その家の前ではBBQの残り煙が漂っていたのと網目の上には食べ物も無く・・・
 一瞬ヤバイと思いましたが・・・。いつもの癖でヒスパニック系なら笑って黙認してくれると思ったのですが。
「ヘイ、ガイ、何やってる?」と黒人の兄ちゃんが飛び出してきました。声は真剣です。
車のエンジンはかけたままなので走れば逃げ去れたのですが、まぁどうなるのかここまできたらと思い
冷静に対処することにしました。
そいつは目の前にやってきて
「何、何、何をやっている」
「写真を撮っている」
「何、何、何を撮っている」
「道」
「何、何、何をやっている」
「写真を撮っている」
「何、何、何、お前は写真家か?」
「違う」
「何、何、何、誰に頼まれて撮っている? 何、何、何、何のために撮っている?」
「自分のために撮っている。これは自分の趣味だ」
「何、何、何、何が趣味だ? 何、何、何、何を撮っている? 何、何、何、何をしている」
こいつは段々と興奮してきて段々と台詞が長くなってくるし、
「何(What ?)」というのを枕詞みたいに連発するし・・・。
説明しても理解できないだろうから作戦を変更することにしました。
 (法則その1)質問には質問で切り返す。
「これはあの有名なルート66か?」と路地を指して聞きました。
「何、何、何、ルート66、何、何、何、何と言った?」
「ルート66だよ、あの有名な歴史的なルートだよ、地図を見るとこの辺りなんだけど、知らないかい?」
「何、何、何、ルート66?」
「その有名なルート66を見たくてやって来たんだ、さっきそこの人間にこのあたりだときいたんだけど」
丁度30分くらいまえに別の家を撮りたくて車を止めていると白人のテキサス・オバチャンが出てきて
「何か困っているのかい?」と聞いてきたので「ルート66を探している」と言うと丁寧に教えてくれた。
その黒人の兄ちゃんはしばらく首をひねって空を見上げて・・・
「何、何、何、ルート66、オーオー、オーオー、ルート66、ここじゃねぇ」
「これじゃないのか?」
「ちがうよ、これじゃ、これはただのアレーだ」
「ちがうのか。本物はこんな感じで未舗装なのか?それにこれくらいの大きさか?」
「ちがうよ、もっと大きくて、こんな表面じゃない」
「そうか、じゃ本物は何処に行けばある?」
この兄ちゃんは首をひねりながら空を見上げて思い出すようにして道順を教えてくれました。
しかし全部出鱈目でした。
実はその通りから数ブロック行った表通りが本物の”ルート66”なのでした。
こうして誤解も解けて開放されました。
 
 (回想シーン:その1) 
 欧州ではあまり気にならなかったことがアメリカでは面倒です。
 やたらと個人的肖像権の侵害だとかウルサイです。
 かってミケランになりすましてパラタインに住んでいたときのある週末に
 あのあたりのハリボテの家を撮り歩いていました。
 その時にある家のカーテン越しの視線が気になったので急いでアパートに向かうと、その予感は本物で
 アパートに近いところでパトカーとすれ違いました。
 緑のナイロン・ジャケットを脱いで黒い皮ジャンだけになりカメラとジャケットはパトカーから見えないように後に
 隠しただの散歩人風を装ったためにポリスに止められることはありませんでした。
 アメリカはこのような感じで病的なところです。
 
まぁ自分が何処かに定住したとして、いきなり怪しそうな奴がフラフラとやってきて
写真を撮り始めたら警戒はすると思います。
 
ヤバイ、ヤバイと思いながら、家の写真を撮っていましたが、そろそろ止めようと思った瞬間にその
住宅街の中にパトカーが待機していました。案件物色中で制限速度以下でノロノロと運転していたので
止められることはありませんでしたが。
まだ太陽は高いのに潮時と思い、今度は美術館を目指しました。
しかしなかなか見つからずウロウロしました。やっと見つけて駐車場に入ろうとすると
そこにもパトカーが待機していました。まぁ飛ばしていないのでそれは問題はないのですが
その前にもその付近を何回もウロウロしていたので通報されていたとしたら?と思うとゾッとしました。
 
美術館には彫刻や絵画それに写真(アダムスのオリジナル黒白プリントとかありました)が
適量展示されており、まぁノンビリするには丁度良かったです。ただカフェを見つけてコーヒーを飲みたかったのですが
ありませんでした。
その美術館は単科大学の中にあり、ある部屋は美術の教室になっていました。
こんなことろでひっそりと絵の勉強をするのもいいなぁと思いました。
しばらくするとポリスが休憩時間になったのか美術館に入ってきて時間を潰していました。
閑静な住宅街で軽微な交通違反を取り締まったり、休憩時間には美術館でノンビリすごす
ポリスになるのもいいなぁと思いました。
(ポリスとの話はまた後日)
 
もうアマリロにも用がなくなったので別ルート(ニューメキシコ経由)で一気に走って帰ってきました。
1タンク(と言っても給油ポイントが不明なので残りが1/4になったところでピットインします)で250マイルくらい
ノンストップで走ります。マイルなのでピンときませんでしたが400kmくらい走っているわけですね。
片道ざっと850km-900kmくらいなので合計1700km-1800kmくらい走ったことになります。
こうしてkmに換算するとやっぱりゾッとします。
 
もう一日休みがあったので何処かに泊まって足をのばしても良かったのですが
まぁこうして帰ってきました。
やっぱり往路と同じく8時間くらいかけて到着しました。
飲まず食わずで走ってきたのでひたすら空腹です。
今朝は間違い電話で叩き起こされたので仕方なくテレビをつけると、NASCARの50歳のベテラン・レーサーが
昨日デイトナでのレース中の事故で死んだことに関する報道をやっていました。
そして早口のレポーターが「NASCARも当面安全性を考慮しないとならないでしょう」などという
一般論的な捨て台詞を吐いていました。(そんなことは誰だって言える)
 
写真はあまり撮れませんでしたが、まぁ整理したら2-3タイトル分にはなると思います。
 
**つづく**
 
 

     
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