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英蟯虫:2003:


Date 2003/7/5.

世界遺産を巡る旅:京都編





  

世界遺産を巡る旅:京都編
 会議中にかかってきた電話に応対するために自席に戻った20分間ほどで今回の出張が決まった。

 急遽、ハビエルを連れて京都に行くことになった。
 京都は92年に行ったきりなので11年振りになる。

 あれだけ世界中から驚かれている銀行がまだ堂々と梅田の一等地で商売を続けていたのには
驚いた。

  

さて京都だ。
京都に数泊出来るなら歩いて回るのがベストであろうが限られた時間内にある程度の
ところを回ろうとすると難しい。
今回も何も事前に計画を立てずに京都駅に着いた。
ただ早朝にみたテレビの天気予想では誰も彼もが「今日一日雨は降らない」と断言していた。

ハビエルがどれだけ京都の社寺を観て理解できるのかは疑問だが
入門編というところで先ずは”清水寺”に行った。

しかし途中で土砂降りの雨になってきた。
天気予想士連中の大嘘に騙された形になったが折りたたみの傘を持参していた。
 (実はそんな予想は信じてはいなかった)

本来ならば清水寺から祇園の方まで歩いて、河原町あたりで昼食をとるといった
漠然とした予定を立てていたが、雨が激しくなったため
途中でタクシーを拾い金閣寺に向かった。

 移動途中に二条城や北野天満宮を外から見た。



金閣寺は最近金箔を張り替えたばかりのようでやたらとピカピカしていた。

それから竜安寺に行った。
ここには石庭があり少しノンビリすることが出来た。


【中略】

その後で八坂神社まで移動し祇園あたりを歩いて京阪に乗って京都駅まで移動し
そしてねぐらに帰った。



京都と言えば”修学旅行”。
しかし最近の学生は5名くらいのグループに分かれてタクシーで移動している。
社寺仏閣の説明も全てタクシーの運転手により行われていた。
昔は大きな観光バスで京都に入り、そして新京極あたりの旅館で不味い飯を食べ
そして夜は土産を買わされたものであった。
もちろん幹事の先生連中は事前に下見ということで京都入りし
旅行会社の接待を受けていた筈だ。
外人を取り囲んで”英会話”の実戦学習をしているグループもあった。

おみくじもハングル文字(韓国語)のものと中国語のものがあった。

 

社寺仏閣とは言え、全て拝観料が必要で金金金、宗教も金が全てであるということを
再認識したわけなのである。

最近、週刊金曜日 第463号 2003年06月13日で
平和と人権を捨てた 公明党と創価学会” という特集が組まれていたことを思い出した。

屁理屈をなんだかんだこねても結局は”坊主丸儲け”ということなんですわ。



以上、校正なしの一気書き下ろし!
と言っても中学生の修学旅行の感想文より稚拙な内容ではあるが。

<<待て!次号>>
 

■余談その1■

 今回は急に決定がなされた出張であったため座席のアレンジが最悪であった。

 関空に辿り着くためには3回も飛行機に乗らないとならない。

 国内移動ではどちらも真ん中の席であった。

 「デブ来るな!デブ来るな!」と念じていたが・・・
 来たのは黒人というよりアフリカ人のおばちゃん。それもデブ。
 このおばちゃんは窓側の席になんとか収まった。
 おばちゃんはくすんだ緑色の民族衣装みたいなものを身にまとい
 そして毛糸の帽子を被っていた。片方の耳には合計6コのピアスが、
 左手の指の全てに派手な指輪がささっており、また手首にも派手なブレスレットが。
 長く伸ばした指の爪は民族衣装と同じ緑系統の色に塗られていた。
 このおばちゃんはもの静かでひたすらペーパー・バックを読み続けていた。

 まだ通路側の席が空いていた。
 「これ以上デブ来るな!これデブ来るな!」と念じていたが・・・
 するとこれまた巨漢の黒人の女性が来た。
 まるでゴスペル歌手の様な女性でなんでもかんでも大声で笑う。
 この女性はすっごいデブで普通のシート・ベルトでは足りないので
 延長ベルトを貰っていた。
 ただ彼女との間にある肘掛けが彼女の腰の肉に挟まれて大体45度の角度で止ったまま。
 デブな女性二人に挟まれてやたら肩がこった。
 左のゴスペル歌手の様なデブは機内添乗員のやり取りでも豪快に笑いその度に
 首を振ったり上半身を揺するのでその度に腕が接触した。
 このゴスペル歌手の様な女性はやはり全身黒ずくめで装飾品はおまり多くないものの
 それらは全て金ピカであった。
  途中で「これ食べな!」と出されたものはミント飴であった。
 少し躊躇したが一粒もらって口に入れた。
  彼女は「あんたしゃいやね!」と言ってまたガハハハと笑って首と上半身を揺すった。
 彼女は一人で誰かと喋っては笑い、そして首と上半身を揺らしていた。 


 やれやれ。

  西海岸から関空までまた真ん中の席であった。
  右側の窓側の席には躾の出来ていない日本人の女子中学生。
  左隣はその母親。
  「家族で移動するのにバラバラに席を取るなよ!」等々思っていた。
  このおばちゃんはまだ常識人だったので不快な思いをせずに済んだ。
  前後には義父母、そして後ろにはまだ小さい子供達や姪っ子みたいなのが座っていて
  合計8人の家族(親父はいない)の真ん中に私一人が放り込まれた格好であった。
  途中でおばちゃんの申し入れで通路側の席と変ってもらうことが出来た。
  しかし右隣には就学前の女の子がやって来て好き勝手に振る舞っていた。
  (次女か三女という感じ)
  この女の子がやたらとトイレに行くので全然眠れなかった。
  まぁ同じタイミングでトイレに行くので実害は無かったが。

約一週間後、またまた関空から西海岸へ。

  今度は気合い一発通路側を確保した。
 

  駄菓子菓子・・・隣人は謎の印度人老夫婦。
  なぜ印度人かと言うと奥さんがサリーを着ていたから。
  この印度人の旦那の方は背が低いがデブで、肘掛けを譲らない。
  なかなか陰険なムードが漂っていたが途中でこの旦那と世間話を始めた。
  この夫婦には男の子ばかり2組の双子(計4名)がいて、旦那はボンベイに在住し
  一番下の息子(神戸在住)と一緒に雑貨の貿易をしているとのことであった。
  残りの息子の二人は西海岸、残りの息子はカナダのトロントに暮らしているとのことであった。
  ボンベイに3ヶ月神戸に三ヶ月、西海岸に三ヶ月、そしてトロントに三ヶ月暮らして
  そしてまたボンベイに帰るという生活を繰り返している、という。
  まぁ180日を超えなければ所得税も払う必要も無く色々と都合がいいのであろう。
  マシンガンの様に喋る旦那の相手に疲れていたが途中で寝てしまった助かった。
  でもこちらも疲れ切っていた。

やれやれ。

  


■余談その2■

  西海岸に着いてそして翌日からまた仕事。

  眠い、ダルい、辛い、眠い、ダルい、辛い、眠い、ダルい、辛い、眠い、ダルい、辛い、
  体内時計がまたもやバラバラ。

  眠気覚ましに「歯を丈夫で健康に保ちます」という触れ込みのガムを噛んでいた。

  途中で奥歯に激痛が・・・95年に突貫で詰めてもらった奥歯の詰め物がこの
  「歯を丈夫で健康に保ちます」というガムの吸着力により外れてしまった。

  おいおい虫歯予防のガム噛んで虫歯を助長されたら洒落にならんやんけ!

  洒落では済まないので一度このメーカーの消費者センター長に直訴してみようと思う。

  前回の虫歯の治療からもう8年も経ってしまいそろそろ限界には来ているのも事実ではあるが・・・
  洒落にならんやんけ!

 



     
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