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英蟯虫:2003:


Date 2003/10/23.

■人質捨年■

 【序章】

 早いものでもうすぐ人質生活が丸捨年になる。
 ドストエフスキーでさえシベリアの流刑地には十年しかいなかった。
 殺人犯でさえ6年くらいで刑期を終えて娑婆に出てくるというのに・・・私は一体どんな罪を犯したのだろうか?

 もはや体力、気力、視力は低下の一途を辿り、肝臓、腎臓、心臓、歯、肩、目、全てが使い物にならなく
なってきている。

 この捨年で得たものより無くしたものの方が遙かに大きいと思う。

 捨年前の初夏のDDにて或週末に車の運転を始めた頃、RCサクセンションの「ボスしけてるぜ」を
 ガンガン鳴らしながら街を流した。当時はそんな気分だった。

 先日久々に八代亜紀のカセット・テープを見付け、朝それをガンガン鳴らしながら出撃した。

 テープ自体が劣化しているので音量を上げないとまともに聞えないという理由もある。

 これは車でドーバーを超える際のために準備したテープであった。

 国道8号線を走る職業運転手と同じく演歌、その中でも八代亜紀の唄を聴きながら運転すると
結構運転に余裕が出て安全につながるのであった。

 まぁそんな日の夜にたまたま『Kill Bill』という映画を観、そのエンディングに
梶芽衣子の怨み節がかかっていた。

   

     出色は決闘シーンに艶歌を使い、エンディングにはなんと梶芽衣子の怨み節がかかります。

     300名収容の小部屋を貸し切り最後までこの怨み節を聞いてから帰ってきました。
 
     この映画は中途半端な日本ぽい作品ではないと思いました。


これがその
八代亜紀のカセットの収録曲である。



音楽や歌自体は素晴しいと思うがカラオケは恥の文化輸出だと思っている。

昔は歌謡曲や演歌など嫌いであった。

しかしたまに聴く演歌は素晴しいと思う。

心に沁みてくる。

中でも「舟唄」や「石狩挽歌」は素晴しい。

「舟唄」

阿久悠作詞・浜圭介作曲

お酒はぬるめの 燗(かん)がいい
(さかな)はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
(あか)りはぼんやり 灯(とも)りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌い出すのさ 舟唄を
沖のかもめに 深酒(ふかざけ)させてヨ
いとしあの娘(こ)とヨ
朝寝するダンチョネ

店には飾りが ないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
ときどき霧笛(むてき)が 鳴ればいい
ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌い出すのさ 舟唄を

ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練(みれん)が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら
歌い出すのさ 舟唄を

ルルル・・・・
ルルル・・・・
ルルル・・・・

「石狩挽歌」

なかにし礼作詞・浜圭介作曲/昭和50年

海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋(ばんや)の隅で
わたしゃ夜通し 飯(めし)を炊(た)
あれからニシンは
どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸(かさどまる)
わたしゃ涙で
にしん曇りの 空を見る

燃えろ篝火(かがりび) 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳(ひ)
あれからニシンは
どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で
娘ざかりの 夢を見る

このテープのすごいところはテープの残り部分に
趙 容弼(ちょう よんぴる)
のNHKライブのテープから「釜山港へ帰れ」や「ハンオべンニョン(恨五百年)」
「窓の下の女」(全て韓国語)がダビングされていることだ。

*恨五百年

恨五百年 韓国民謡

恨(ハン)多きこの世 つれなき君よ
情だけ残し 体は行くのか 涙がこぼれます
いかにもそうだよ そうだとも 
恨みながら五百年 今更言ってもしょうがない

白浜場に七星壇を祀り 君現れるのを祈ります
いかにもそうだよ そうだとも 
恨みながら五百年 今更言ってもしょうがない

青春は踏みにじられ 心断ち切る愛 涙流して何処へ行く
いかにもそうだよ そうだとも 
恨みながら五百年 今更言ってもしょうがない

恨(ハン)多きこの世 冷たきこの世
同情心なくて わたしは生きていけません
いかにもそうだよ そうだとも 
恨みながら五百年 今更言ってもしょうがない

 NHKライブ・テープ
 

 弥生人や縄文人の差はともかく、基本的に日本人はとにかく消しゴム文化というかなんでもかんでも
時が経てば水に流して忘れてしまう。
  
 それが良いときもあるし悪い時もある。

 だから半島独特の”恨”(ハン)という心情はなかなか理解しにくのであろう。


しかし趙 容弼(ちょう よんぴる)が韓国語で熱唱するこの
「ハンオべンニョン(恨五百年)」は素晴しく
いい唄なのである。

一時期そらで歌えるように真剣に練習した事がある。

日本語で歌詞の内容を理解するより先ず音から入った方がいい唄であると思う。


ここ連日は国境の南で車の窓を全て全開にしこの「ハンオべンニョン(恨五百年)」をかけて走っているのである。

 

以下はサワダノ・ハルミノフにもらった3本のフォルクローレのテープの内の2本である。



タイマーズの二枚目のアルバムのテープがこれである。
(これは私の自筆ではない)
曲目だけで色々と考えさせられるではないか!



アナログ・テープは劣化が激しく経年変化に弱いが
それでも独特の味がある。


さてここから肝心の主題に入るわけなのだが・・・
つづくのである。


 【第一章】

 ヘクターとハビエルではどうしても解決出来ない問題がありそれに落とし前をつけるために
ハビエルと一緒に出撃した。普段は先頭を切って走るのだが八代亜紀がかかっているので
ハビエルのトラックをゆっくりと追走することにした。

 気分的には昭和残侠伝
   『人斬り唐獅子』や『吠えろ唐獅子』や『破れ傘』のラストシーンなのである。

 子供の頃唯一公式的に夜更かしが許された大晦日から明け方にかけて例年
これらの任侠モノばかり観ていた。

 戦争や暴力は大嫌いではあるが、任侠モノの映画、特に高倉健が出てくるものは大好きである。

ラスト・シーン、すなわち

花田秀次郎 .( 高倉健) と
風間重吉 . 池部良

の組み合わせもしくは高倉健/鶴田浩二の組み合わせで殴り込みに時の気分なのである。

まぁ殴り込みと言っても問題解決なので暴力を行使するわけではない。

映画では雪の中、花田秀次郎(高倉健)と鶴田浩二(或いは池部良)が和服姿に日本刀という出で立ちで
歩いて理不尽な相手の組に出向くのである。

頭の中の情景は”舟歌”であり”石狩挽歌”であり”恨五百年”なので冬のイメージであるが
晩秋とは言えまだまだ太陽ギラギラなのである。
  




橋を越えて国境の南へ!
真にやばい橋を渡って行くのである。



国境を越えると風景がガラリと変る。
そして一瞬目が眩む!


国境地帯をひたすら走る!




駄菓子菓子、今回の問題は根が深く返り討ちに遭ってしまった。

「今日のところはこのあたりで勘弁してやる」という捨て台詞を残して現場を後にした。

喉がカラカラであったのでミニバンを改造した駄菓子屋にて炭酸飲料を買う。

「親父も何か飲め!」と言って無理矢理飲ませる。

煙草も一本ずつバラ売りをしていたりする。

 喫煙が嗜好項目に入っていないのが残念な場面である。
 余分な税金を支払わなくてもいいかもしれないが世界の煙草や葉巻を楽しむ!という機会を放棄している
のである。まぁ煙やあの匂いには馴染めないので仕方がない。
生涯にたった一度だけ喫煙した事がある。それは小学校6年の時に親父の”セブン・スター”を丸々一本吸った。
その後すぐに昼飯になり食べたが味がしなかった。
それで一緒喫煙しないと誓った。
まだまだ食欲旺盛な頃であった。

駄菓子屋の親父に「親父」と言っているてめぇももう随分と親父になってしまった。

最近なかなか疲れが取れないのである。


     
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