"喜劇!駅前林道"創作野郎



英蟯虫:ワルシャワの墓                                    :初出掲載誌:七味八珍欧米版

The Cemetery in Warszawa.

 

  結局一人で旅立つ事になったもののまだまだ本当に行けるかどうか当日まで怪しかった。私的な旅の計画なんて不幸を呼び覚ますトラブルの電話一本で消し飛んでしまう。金曜日朝より関係各方面に煙幕を張りなんとか夕方事務所脱出。週末の午後たった二時間早く事務所を出るだけでなんて労力が必要なんだろう。ニッポンは三連休だとかでもう誰もいないのにね。月曜日は「勤労感謝の日」だとかで我々はいくら働いても「感謝」されない立場なのね。 

で自宅に帰りついた私は早々に荷造り(と言っても「本」の選定をして着替えを詰めるだけ)をして自宅脱出。

 ルフトのチェックイン・カウンターはやはり長蛇の列。ようやく自分の番が来た時には「怒り爆発」。「オーバー・ブッキングで席が無い!」だと。

 チケット・カウンターとかたらい回しにされて結局フランク経由でその日の内に到着するのは判明したが合計6時間のロス。

 直行便だからという事でワザワザ金曜日午後に無理して2時間も早く早退したんだぜぃ。それを「どうしもお前は今日ワルシャワに着きたいのか?もうむこうは夜だぞ?」とルフトのババァはのたまう。いつものパターンのドイツ人の開き直りには感心させられる。

 ワルシャワの空港からホテルに辿り着いた頃は土曜日になっていた。

ホテルの回りを歩くが寒いだけでバールは開いていなかった。

ホテルのバーで一杯だけビールを飲んで寝た。

 朝は体が動かない。

珍しく朝食を食べてコーヒーを飲みながら昨夜の続きである池田理代子の「天の淵まで(ポーランド秘話)」の下巻を読んで街に出る。
いつものパターンで初めての街の初日はひたすら歩く。

 

今回は寒いと聞いていたので装備はステージ3を準備し、靴も久々に履くトレッキング・シューズのハイカットをスペアで持って来ていたのでそちらにする。

 天気がいいので雪は降らなかったけれど既に歩道には雪が積もっていた。

 耳が痛いし両足から冷えて来る。

金沢市南郊で過ごした4年間の冬で足の冷えに対しては我慢強くなっていたつもりだが辛い。歩いている内に筋肉が熱を帯びて気にならなくのなるでは?と昔のつもりで楽観していたが冷えは辛くなる一方。中央駅とか科学文化宮殿とかに立ち寄りながら少し暖を取るがどこもかしこも外気温と変わらない。

 で、地元の人はどうだろうか?と観察するとやはり寒そう。寒いモノはやはり寒いのだ。これは絶対的に寒いのだ。

自由市場をプラプラしていると何処か懐かしい雰囲気がした。そうだこれはあの韓国の真冬の市場と同じ雰囲気だ。だから韓国の大手自動車メーカーがこの国に進出してきているのか?韓国の真冬もこれくらい寒い。じっとしていても寒いので歩き続ける。

 コペルニクスの象を見て聖十字架教会に入る。どれかの石柱の下にショパンの心臓が埋め込まれているらしいがあまり興味が無いので探さなかった。

 次に市民自慢のサスキ公園を歩き旧市街へ。

 どうしても栄養が足りないので地下の食堂で食べる。ビールを飲んでウオッカを飲んでも酔わない。キューリー夫人の生家に行き一巡りして出てきたらかなり暗くなっていた。まだ午後三時を少し過ぎただけなのに。

 王宮博物館まで戻ってチケットを買おうとしたら「終わりだ」と言われた。

4時前なのに外は暗くなってきた。

 街の雰囲気はプラハの方が好きだけどワルシャワの旧市街の旧市広場からの新市街の方の眺めもだだっ広くていいね。

 写真も少し撮ったけど右手の小指の筋が痛い。どうしんたんだぃ。

歩いている内に日がどっぷりと暮れ、おいおいまだ5時になってないぜ。

 裏道を彷徨って科学文化宮殿の下まで戻るとテントでビールを売っているホールがあった。地ビールの山羊のマークにひかれた。テントの中も寒い、でもよく冷えたビールをみんな飲んでいる。酔えない。外に出るとただ頭の芯だけが痛い。

 さてどうしよう。

 バスのチケットを買ってホテル方面のトラムに乗った。あっという間にホテルの前に着いた。

 部屋に戻ってて浴槽にお湯を張り気が付いたら溺れそうになっている自分を発見した。結構鼻からお湯を吸い込んだみたいで呼吸が出来ない。意識は朦朧としていて一瞬ここは何処だろうか?と自問自答したがなかなかわからない。

ベッドに潜り込んで次に起きたら夜の9時過ぎだった。

お勧めの店まで行くのも面倒なのでダラダラして10時頃ホテルの食道で軽く食べる。体が相当弱っているのだろう。

  

翌朝日曜日に努力して追い出される前にホテルの朝食を食べる。と言ってもいつものパターンでトーストを焼いてスクランブル卵、ベーコン、ソーセージ、それにオレンジ・ジュースとコーヒーを数杯飲むだけの簡単なもの。

 ホテルを出て目の前のトラムに乗って国立博物館に行く。王宮博物館は諦めた。

旧東側の国のくせに「宗教」関連の絵や彫刻が多いし絵画では特に女性の肌の色の使い方が絶妙で美しい。いつものパターンで途中で飽和してしまい。動けなくなくなった。やはり15-16世紀くらいに一度は貴族文化のピークを迎えただけに色々な美術品が豊富だね。あれでも結構強盗よりひどいドイツ人とかロシア人に強奪さてたのだから本当はもっとすごいのだろうねきっと。

ギリシャ神話から描かれたらしい一枚の大きな絵画で思考停止したのでその前のソファでしばし放心。

 となりの軍事博物館でMig-21戦闘機やT34という往年の戦車を見る。

どれもこれも雪を被っていい雰囲気を醸し出しているもののやっぱり寒い。

 ゆっくりビィスワ川を見るために橋まで延々と歩く。
ようやく橋に辿り着き氷の軍団が流れて来るのを飽きずに眺めた。
通り交うクルマやトラム以外は人気がない。
誰も寒風吹きすさむ橋の上で川なんて見ていない。

 午後2時。やばい後二時間で日暮れモードに入る。トラムをデタラメに乗り継いで墓地に辿り着く。
目的の「カチンの森慰霊碑」を探すものの見当たらず花売りの親父に聞く。
「こっちじゃねぇ、あっちに2キロ行ったとこだ」

それにしても墓地の近くで売られている花が売られている花の中では一番綺麗だと最近この法則に気付いたがここでもそうだった。

どうしてだろうか?まだまだ知らないで過ごしている法則が多い。

 よく「地球の歩き方」を読むとワザワザ間違えない様にと書かれてある。たまには役に立つねお前も。170番のバスを待つがなかなかこない。タクシーも拾えない。

ようやくタクシーを止め目的の墓地に運んでもらう。

しかし日が暮れてきた。


案内人もいないのですれ違いざまに出会った墓参の若いグループに聞くが知らないという。
ここではないのか?と不安になり聞き返すとたどたどしい英語で「あい どーんと のう」と答える。

 仕方がないので中央部分辺りで彷徨っていると老夫婦がやって来た。

その主人は綺麗な発音の英語で100m前進して右に曲がれば見つかると丁寧に教えてくれた。
しかし夕闇が迫るしなかなか見付からなかった。  

諦めかけた頃にそいつは忽然と目の前に姿を表した。暗闇に視力が奪われる数分前だった。勿論「歩き方」にも写真は載っているが本物は予想していたのよりもっと大きかった。このギャップは自分が現地に行って見てみないとわからないモノだ。  

 カチンの森で虐殺されたポーランド軍の将校には何の義理も関係も無いが非常に辛かった。
寒くて暗くて孤独というのもあったが「戦争」はやっぱり良くないのだと思うと辛かった。
きっとアウシュビッツにはなかなか行く機会は無いだろうがここで代わりに想いをなげかけておこう。「支配者達よ糞喰らえ!」

 墓地の門を出る頃すっかり暗闇が支配する世界になっていた。

 バスやトラムをデタラメに乗り継いでホテルまで帰る。

預けていた荷物を受け取りタクシーで空港へ。

今度は直行でDDへ。

 パスコンでドイツ人の警官が「お前はドイツ語を話すのか?」と横柄に聞くので

「いいやぁ」と答える。

すると「英語は?」と聞くので

「あなたよりマシなのをね」と答えると警官に緊張の色が漂う。

外人局といい国境の警官といいドイツ語で世界が回っているのを信じて疑わない横柄なドイツ人が多い。連中は反面英語がまともに喋れないコンプレックスがある場合が多い。今回の警官も眉間にシワを寄せてたどたどしく「何処から来た?」とか「何日滞在する?」とかお約束な質問を聞いてきたがやがてビザのページを見付けた途端ニコニコして「Ok! Let go」だと。

こっちは
「お前達の家族が幸せに生活出来る様にタップリ税金を払うためにこんな国で働い ているんだ」という主旨の答えを用意していたのに。

 自宅に帰りホテルで描いていた「神」の絵の続きを描くも気分が乗らず。

顔を洗う時に左側から大量の鼻血が出る。鼻血が出るのも珍しいがこんなに大量に続けて出るのは初めてではないだろうか?きっとどこかの毛細血管が切れているのだろうか?それとも脳味噌がとろけて鼻から出てくるのであろうか?

 何故か寝付きが悪くようやく眠ったが寒気がして明け方目が覚めた時にすごく寂しい気分になった。

 あとがき1:

「旅の氷点」を超えて復活しないまま何年も経つが今回は少しはワクワクするだろうかと期待したがマイナスのマイナスはプラスにならずマイナス方向に相乗悪化しただけに終わった。

抑圧する側より抑圧される側の方に興味が行くがやはり受難の歴史を探るのもやはり受難の道であった。南京の虐殺記念館で感じたのと同じ様な痛みを今回を感じた。

それは人種とかを超えた普遍的な辛さや痛みであるからだろうと思う。

 あとがき2:

ポーランド人のお姉ちゃんもお兄ちゃんも色白で可愛い。

美人が多いとは聞いていたけれど本当に多い。何故だろうか?スラブ系とゲルマンが混じったためだとかヒトラーが不要なのは燃やしたとか色々と言うが本当は何故だろうか?

あと太った人はあまり見かけなかった。

 あとがき3:

 帰ってから「地球の歩き方」の「東ヨーロッパ89-90」というのを引っ張り出して見るとワルシャワは元々黒川さんが記述したものだという事を初めて知った。
だから正確な記載が多いのだ。
「地球の歩き方」は別名「シバキ方」とか「ダマシ方」とか呼ばれていてインチキ記事や嘘が多く騙される事も多く、特にそれらは真冬の夜に発覚する。
だから、あくまでも主観で書かれてある記事が中心なので誰が書いたかが明確な方がいいと思う。「お前の事だよ
XX!!

 

*つづく*

 

The

 Cemetery

 in

 Warszawa.

by英蟯虫


  

     


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